← トップページへ
← 前へ 「古書往来」目次へ 次へ →

古書往来
6.続・回想記は面白い!
記者や編集者出身の文学者が書いた回想記には、仕事で接した他の作家達の印象やエピソード、出版にまつわる裏話などがよく出てくるので、私は古本屋で目につく限り蒐めている ―――

もう少し、回想記の話を続けよう。昨年末、京都での所用の帰り途、最近移転した梁山泊の新しい店を探しあて、閉店間際に飛びこんであわただしく棚を見回して見つけたのが、野村胡堂の『コーヒーの味』(昭30、東方新書)という随筆集である。

これがタイトルの如く、コーヒー代位の値段だったのでめっけ物だった。言うまでもなく、胡堂は『銭形平次』の作者だが、明治末から太平洋戦争末期まで30年間、報知新聞の記者をしていたので、他の文学者との交友も幅広い。この本にはその間の回想記がかなり入っている。

他に、胡堂の学生時代に親しくつきあった同郷の石川啄木との交流記が40頁も収められていて、実に読みごたえがある。二人の在学中に起った、明治34年の盛岡中学での大ストライキが、啄木が主脳者であったように書かれている啄木伝の誤りを正すなど、人間・啄木の実像を余すことなく正確に伝えている。

この本もそうだが、記者や編集者出身の文学者が書いた回想記には、仕事で接した他の作家達の印象やエピソード、出版にまつわる裏話などがよく出てくるので、私は古本屋で目につく限り蒐めている。昨年の収穫の一部をアトランダムに挙げてみよう。

まず、少年向けの『芳水詩集』を出し、当時の大ベストセラーとなった有本芳水の『笛鳴りやまず』(中公文庫、昭61、絶版)。

これは元本が岡山の日本文教出版社から出ている。芳水も若き頃、実業之日本社に入社し、『婦人世界』『日本少年』の主筆記者として活躍した人だ。本書は彼が主に記者時代に接した著名な作家、詩歌人を59人も取り上げ、回想した書き下ろしである。これほど面白い明治大正文壇史は数少ないのに、すでに絶版とは、日本の出版界はどうなっているのだ、と言いたくもなる。

数多くの印象的なエピソードのほんの一つだけ紹介しよう。彼が20歳の折、通りかかった島崎藤村の家を牧水と一緒に突然訪ねたら、藤村は快く会ってくれ、「初めての詩集、若菜集が春陽堂から届けられたときはうれしくって、その晩は本を抱いて寝ましたよ」と語ったという。

次は東京の友人の古本屋さんから送ってもらった本で、『追悼加藤千代三 昭和前史の人々 ふるさと慕情』(平13年)という島根の制作会社刊の本。

私はこの本を手にするまで著者を知らなかったが、加藤氏は明治39年生れで、藤村の推挽で岩波に入社、岩波文庫の創刊に携り、後、新潮社に入り新潮文庫の創刊にも当たった人だが、戦後は郷里の島根に帰り、新聞社の主筆や文化運動で活躍した。

とくに前半の『昭和前史・・・』が編集者時代の回想であり貴重だ。岩波文庫創刊時の様子が社内の動きとともに描かれている。中でも『新訓萬葉集』の編集中、訓読者の佐佐木信綱氏から秘蔵の古写本を校閲用に拝借して編集部の金庫に収めていたが、ある朝金庫をあけると、古写本が真っ赤なインクに染まり、崩れていたという、驚くべき事件も正直に綴られている。

もう一冊挙げたかったが、紙数が尽きた。


← 前へ 「古書往来」目次へ 次へ →

← トップページへ ↑ ページ上へ
Copyright (C) 2005 Sogensha.inc All rights reserved.