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古書往来
53.作家の名前コンプレックスあれこれ

次に、木山捷平は『玉川上水』(1991年、津軽書房)の中で、太宰治とのつきあいの思い出をいろいろ綴っている。
昭和8年、太宰も参加した同人誌『海豹』に木山が書いた小説の校正などをしに編輯所である古谷綱武の家に出かけた折、「先客として大岡昇平がきていた。大岡はスマートな背広など着こんでいたが、すでにへべれけに酔っていた。古谷がこれが木山捷平だといって紹介すると、大岡は滅茶によろこんで私に抱きついた。『お前もショウヘイか』『おれもショウヘイだ』『こら、ショウヘイ』『ショウヘイもっとしっかりせんか』と二人は抱き合ったまま畳の上をころげまわってお互いの名前を祝福しあった。」と愉快な出会いを描いている。発音が同音の仲間に出会って共鳴しており、この頃はまださほど名前に違和感は抱いていなかったらしい。(同じショウヘイでも昇平の方がややモダンに見えるのはなぜだろう? やはり作風の違いからくるものか。)

ところが、『角帯兵児帯 わが半生記』(1996年、講談社文芸文庫)に収められた「私の後悔」(昭和40年)ではこう述懐している。
「私が女にもてないのは、いろいろ理由はあろうが、名前がわるいのではないかと思うことがある。たとえば私がひそかに思う女の子に手紙を書いたとする。私が女だとしても、捷平なんてやぼったい男に返事を書くのは真平御免である。女の子にもてないのはまあ我慢するにしても、こんな名前で本を出しても、売行きはわるいのにきまっている。これは商売に属することだから、重大問題である。」と。そして、「若い時私はなぜ、ハイカラでスマートなペンネームをつけておかなかったのであろう。」と悔やんでいる。
木山は岡山の字がつく村に生れたので、郷里ではその名前もふさわしかったと思うが、後に上京して住んだ東京のような都会人から見ると、少々やぼったく見えるかもしれない。しかし、木山の心配にもかかわらず、私小説の内容と名前が割りあいマッチしているせいもあるのか、いまだに愛読者は少なくない(とくに古本好きの間で人気が高い。)

その木山が、同書の「文壇交友抄」で、友人の劇作家、伊馬鵜平が伊馬春部(はるべ)にペンネームを改名したことにふれて、次のように書いている。
「春部はやさしくて気品のあるいい名前だが、私は個人的にはかなりさびしい思いをした。平の字のつく名前が地球上から一つへったからである。平の字を書くたび、あるいは或る日突然、伊馬は私のヤボったい顔を思い出し、平の字に厭気がさして来たのではないか ── そういう邪推までした。」と。

「おととしの恋人」カバー
「おととしの恋人」カバー

ここまでくると、かなりコンプレックスも深刻である。木山は、伊馬の改名の本当の動機がききたい、とも書いているが、これについては答えにはならないが、伊馬の友人であった戸板康二(どちらも折口信夫を師と仰いだ)のエッセイ集『おととしの恋人』(昭60、三月書房)所収の「伊馬さんのこと」に次の箇所があるのを見つけた。
「鵜平を戦後、春部と改めたのは、その動機をくわしく知らないが、戦場から帰って心機一転という思いがあったかも知れぬ。酒好きなので、春日のカス、服部のトリ、つまりカストリですかとまじめに尋ねる人があったという話だが、出典は万葉の古歌である。」と。

これは伊馬氏から戸板氏が直接聞いたのだろうか、先の臼井氏と違って万葉集から採ったようだが、具体的な歌は示されていない。
伊馬氏については作品を詳しく知らないが、私の子供の頃、NHKの放送劇(「向こう三軒両隣り」だったか?)の原作者として時々名前を聞いた憶えがある。


梅田の阪急東書房で200円で入手した伊馬春部の随筆集『土手の見物人』(1975年、毎日新聞社)の奥付によれば、伊馬は1908年北九州生れ、1931年国学院大学を卒業後、ムーラン・ルージュ文芸部に入り活躍した。著書に『桐の木横丁』(1936年、西東書院)などがある。戦後もNHK文芸課などに在籍。その一方、井伏文学に魅せられ、昭和6年頃、初めて井伏宅を訪問、その頃太宰治と知り合い、親交を重ねた。太宰に関する著書『桜桃の記』もある。

「土手の見物人」カバー
「土手の見物人」カバー

本書の中にも太宰や井伏氏の思い出を綴ったものが多くあるが、その一つ「朽助以後のこと」の中にたまたま次の箇所を見出した。
「その頃の筆名は久丸叟助であったが、井伏さんにすすめられてはじめて新宿<ムーラン・ルージュ>の脚本を書いたとき別の筆名を考えた。それが伊馬鵜平である。叟助は一文もの原稿料も稼がなかったが、鵜平は、卒業以来一年目にしてはじめてナニガシかにありつくことができたのである。」と。ペンネームも作家によってはいろんな変遷があり、人気の出るタイミングもあると見える。ちなみに同時代にはやはり井伏氏を師に仰ぐ中村地平や、詩人の草野心平、画家の岡本一平と、平のつく名前の文人はけっこういたのである。近くでも、故・藤沢周平がいて、こちらは時代小説作家としてふさわしい名前だ。

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