← トップページへ
← 第52回 「古書往来」目次へ 第54回 →

古書往来
53.作家の名前コンプレックスあれこれ

「日本語の周辺」カバー
「日本語の周辺」カバー

これも「コリノズ」で最近手に入れた臼井吉見の『日本語の周辺』(1982年、旺文社文庫)にも、おあつらえむきに「姓名判断」なる一文があった。
臼井氏はまず、「子どものころ、僕にとって、この吉見という名前は、何ともてれくさい、好きになれないものであった。女名前めいた発音が、気にくわなく、時には、はずかしいような思いさえそそられた覚えがある。」と書く。ところが氏が松本の中学に通う頃になると、「妙に自分の名前が好ましいものになってきたのであった。とりわけ、ミという発音が気にいっていた。」

高校に入ってからは万葉集が好きになり、ある時、天武天皇の吉野遊覧の折の一首が目に止った。その意は、この吉野は、古来よき人が、よしとよく見て、ほめたたえた所で、よく見るがよい、というもので、吉見が二度繰り返して現れてくる。氏はこれが名前の出典かと思ってうれしくなった。祖父が隣村の風変わりな俳句の宗匠の老人に相談して、万葉集の中から見つけてくれたのに違いないと判断した。ところが、晩年の父に名前の由来を尋ねたところ、あれは自分が付けたもので「出典なぞあるものか。吉を見るように、いいことがどっさりあるようにというわけさ。」と言われ、自分の名前へのロマンティシズムが音をたてて崩れ去った、と告白している。自分なりの思いこみのままの方がよかったかもしれない、と同情する。


次は高見順のエッセイから。
たまたま裏見返しに値段を書いたお店の札がまだ貼ってあったので思い出したが、数年前まで阪急上新庄駅のすぐ前に店舗があって時々のぞきに行った「ぶんさい」─ 今は店はないが古本展に出品している ─ で300円で買った高見順のエッセイ集『悪女礼讃』(昭32、酒井書店)の中に「いかなる題の下に」(高見の小説の題をもじったタイトル!)という一文がある。ちなみに、この本には他にも「『故旧忘れ得べき』の頃」で、出世作を生み出す前後の事情や『日歴』同人の思い出など書かれていて参考になる。さて、名前の話を引こう。

「悪女礼讃」表紙
「悪女礼讃」表紙

「芳雄というのは、せっかく、親のつけてくれた名だが、私は実はきらいだった。中学生のときに、友人がこっそり貸してくれたワイ本を読むと、その主人公が芳雄さんという名だった。女が芳雄さん芳雄さんという。以来、どうも、芳雄というのは、いやになった。」と。傑作な理由だが、多感で純真な(?)思春期の頃だから、それもムリはない。氏は山田耕筰氏とつきあいがあり、山田氏が一時、姓名判断に凝っていたので、高見氏の本名、高間芳雄の字画を数えてマズイと言い、「識史」(ツネト)と改名しろと勧められたという。しかし、その頃すでに秘密で高見順のペンネームで書いていたので、改名は断念したそうだ。「高見順」の方は東大生以来の親友、新田潤と、道を歩きながら、ジュンの名をわけあったと、氏のエッセイに書いてあったが、雑誌出典がはっきりしない。私の主観でも、高間芳雄というと、何だかこわーいお兄さんか刑事なんかを連想させて、あまり感じがよくない。前述の和田氏の考察のように、この名前では読者にあまり読まれなかったかもしれない。

<< 前へ 次へ >>

← 第52回 「古書往来」目次へ 第54回 →

← トップページへ ↑ ページ上へ
Copyright (C) 2005 Sogensha.inc All rights reserved.