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古書往来
54.大正モダンを駆け抜けた画家、吉田卓と森谷均の若き日の交流

この連載で以前、青柳喜兵衛や六條篤といった相当マイナーな画家を紹介した。それでも、連載後、テレビ東京の美術番組(「美の巨人」だったか?)で前者が取り上げられたことがあり、びっくりし、うれしくなったものだ。今回、紹介する吉田卓も、郷土の福山市ではともかく、全国的には殆んど知られていない画家のように思われる。私は文学者にしろ、画家にしろ、よほどのマイナー好きらしい。

昨年、大阪、天神橋商店街に新しく店舗を開いた美術書専門の古本屋、ハナ書房を二回目かに訪れた折、棚にぎっしり詰った珍しい本や図録を順々に眺めてゆき、ふと目に止って取り出したのが、『大正モダンを駆け抜けた画家 吉田卓展』(1991年、ふくやま美術館)という40頁の薄い図録であった。「大正モダン」という文字に魅きつけられたのだろう。初めて見る画家の名前だったが、中をパラパラのぞくと、私好みの絵の数々が目に飛びこんできたので、これはよさそうだと思い、買うことにした。

「吉田卓展」図録
「吉田卓展」図録

トビラ裏に、口髭をはやした、眼光は鋭いが全体は柔和な表情の吉田氏の写真が載っている。モダンでおしゃれな画家という印象を受ける。ふくやま美術館の学芸員、谷藤史彦氏の興味深い解説から紹介しよう。

「はじめに」で、吉田卓再評価までのいきさつが書かれている。吉田は第11回二科展で、林重義、木下義謙、佐伯祐三とともに二科賞を受賞した程の、将来を期待された画家だったが、昭和4年、関西を旅行中に西宮で発病し32歳の若さで急死したため、近代美術史のなかで殆んど忘れられていた人であった。

吉田卓氏像
吉田卓氏像

「ところが昭和40年頃、美術研究家の梅野隆氏が、大正昭和初期の『アトリエ』など美術雑誌をひもとくうちに、偶然吉田卓の原色図版に触れ、その優れた芸術性に一目惚れしてしまった。」以来、梅野氏はとりつかれたように吉田氏の作品を求め歩き、昭和60年、ついに彼の展覧会を開催するに至った。昭和5年の追悼遺作展から56年ぶりのことだったという。その後、ふくやま美術館がこの郷土の画家の作品収集に努め、二科賞の<<羽扇を持てる裸婦>>を含む計11点を所蔵するまでになった。しかし、生涯にわたる推定500〜1,000点の作品のうち、現在までに確認されているのはわずか70点位にすぎず、悲運というしかない、と谷藤氏は嘆いている。(この図録にはカラーで油彩、水彩画合わせ、63点。雑誌などからの参考白黒図版20点が収録されている。)その後、テレビ「なんでも鑑定団」などで作品が出てこなかっただろうか。

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