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古書往来
50.三国一朗の戯曲と青木書店のこと

「肩書きのない名刺」カバー
「肩書きのない名刺」カバー

最後になるが、私はこの機会に、本棚にある三国氏の『肩書きのない名刺』(昭59、中公文庫)も引っぱり出し、その一部を再読してみた。これは日本エッセイストクラブ賞を受賞したもので、さすがに読ませる。
とくに「古書転々」は、徳川夢声の『夢諦軒随筆』など、氏が手に入れた三冊の古本の元の持ち主を、各々献呈先や書き入れ、挟まった紙片などを手がかりに推理、探索してゆくプロセスを綴ったもので、古書好きに格好の読み物である。

最後の「かきフライと皿」は、長年、「私の昭和史」の司会者として、証言者に呼んだゲスト出演者の多くが述懐している、「誘導尋問に乗せられて答えた、後味のわるさ」を氏が追想し、そのテクニックには戦前、戦中の思想言論弾圧目的の警察権力の取り調べと共通するものがあると思い至り、自分の仕事の罪深さをつくづく想う、といった重みのある発言が見られる。三国氏の神経の繊細さがよく示されている好文章だ。

余談になるが、この文庫版あとがきで氏は本書が中公文庫に加わった嬉しさを語り、「なにしろ私の母は、『婦人公論』をとくに愛読する明治の女で、プラトン社の『女性』が消えてからは、とくに集中して読んでいたようです。」とある一節に興味を引かれた。私は数年前、小野高裕氏や明尾圭造氏らに執筆を依頼して『モダニズム出版社の光芒 ─ プラトン社の1920年代』(淡交社)を手がけたことがあるからである。モダンな文芸雑誌『女性』の読者がここにもいたのだ! と感慨深かった。


(追記)
またもや、追記を書く羽目になった。

原稿を書き終えた頃、神戸に所用があって出かけ、ついでにサンパルのロードス書房に立ち寄った。例によって均一本コーナーを眺めていたら、何と、おあつらえ向きに『三国一朗の人物誌』(昭57、毎日新聞社)が出ているではないか!(ロードスさんに感謝。)カバーのイラストは山藤章二が描く三国氏の絶妙な似顔絵である。これは、氏が生涯に一度でも出会ったことのある人物、102人を取り上げ、各々2頁ずつ、氏とのかかわりやプロフィールを味のある文章でまとめたものだ。俳優やタレントがいるのは当然だが、文学者や芸術家、映画監督などが多いのも、いかにも三国氏らしい本書の特色である。

「三国一朗の人物誌」カバー
「三国一朗の人物誌」
カバー

私は早速、帰りの車中から読み始め、知らない人や興味のない人物は飛ばしてずんずん読み、一気に二日程度で楽しく読了した。
本書はあとがきにも触れられているように、人物のスケッチであると同時に、断片的だが氏の自伝的色彩(とくに若い頃の)の濃い記述になっていて、年譜には出てこない細かい事実が種々語られている。その中でも名脇役「金田龍之介」の項では、本稿と関連する発見があった。というのは金田氏は大阪市立大工学部を卒業し、昭和30年まで大阪で新劇の修行に励んでおり、昭和25年4月に、彼も構成員の一人であった「青猫座」が、三国氏の「厨房」を上演してくれた、と書いてあったからだ。三国氏はさぞや感激したことだろう。それから、「谷川徹三」の項では、氏は昭和20年復員して、印刷と兼業の小出版社に勤めていたが、翌年冬、新聞で中央公論社の編集部員若干名募集の広告を見て、矢も盾もたまらず応募する気になり、その頃中央公論社にポストがあった谷川氏に、氏と面識のある同郷の同級生の紹介状をもって面談に行ったという。結果はダメだったが、その折の谷川氏への好印象は後々まで残った。これも、出征前の青木書店での楽しい経験が出版社志望の動機になっていたかもしれない。

他にも、本書から氏の意外な(?)自伝的事実を列挙しておこう。
父が名古屋で写真業をしていたので、ひと一倍写真に親しみ、とくに福田勝治の作品に魅せられたこと、旧制八高生のとき、校友会雑誌に「堀辰雄について」という長編評論を書いて投稿したが、ドイツ文学の教授によって没にされたこと(「堀多恵子」の項)、大学時代二年間、文学座の舞台を一つ残らず見て出征したこと、戦後、久板氏の家に通って脚本を勉強していた頃は、心中ひそかに映画監督になると決めていたが、実現しなかったこと(「黒澤明」の項)などである。

最後に、古書好きの三国氏ならではの体験も紹介しておこう。
兵隊に行くと決ってから、氏はよく詩を詠み、杉山平一氏の『夜学生』も買って大切にしていたが、出征中の空襲で焼けてしまった。昭和42年、長らく探していたその詩集が目録に現れ、その古書の会初日に駆けつけて、やっと手にした。ところが、レジで代金を払おうとしたら、一人の男が氏にとりすがり、著者から頼まれて神戸から来たので譲って下さい、と号泣せんばかりに哀願され、仕方なく譲ってしまう。態よくだまされたのではないかと悔んでいたが、一年程して杉山氏からハガキが来て、それが事実だったことが判明した。その現場の目撃者が、会ったこともない福永武彦氏だったという。福永氏が杉山氏にそれを伝えたのだ。なかなかドラマティックな話ではないか。私は戦後出た復刻版の『夜学生』しか持っていないが、大へん感銘を受けた詩集であり、同じ詩集を氏も愛蔵していたのか、とより身近に感じた。本書には、佐野繁次郎、岩田専太郎、宮田重雄、古沢岩美といった画家も取り上げられているが、共通するのは彼らが小説に添えた挿絵をことのほか愛好した点で、これも古書好きの人によく見られるタイプであり、共感を覚える。

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