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古書往来
51.木下夕爾と『春燈』の人たち

私が詩人で俳人でもあった木下夕爾の名を初めて知ったのはかなり以前、やはり古本目録を通じてであったように思う。たしか、石神井書林の目録で、地方詩壇の分類中に井伏鱒二の本のすぐ下に、木下夕爾の第一詩集『田舎の食卓』や第二詩集『生れた家』を見出し、前者は何と25万、後者も18万という値段が付いているのを見て、驚くとともに、これは相当評価が高い人なのだなあと印象づけられたものである。それ以来、機会があれば夕爾氏の作品に触れてみたいと思いながら、没後一、二年後に牧羊社から出た定本詩集と句集でさえ、万単位の値段なのでとても手が出ず、長年読む機会がなかった。

「含羞の詩人 木下夕爾」表紙
「含羞の詩人 木下夕爾」
表紙

ところが、二年程前の四天王寺の古本祭りに出かけた折、楽人(らくと)館のコーナーでたまたま、『含羞の詩人 木下夕爾』(昭50、福山文化連盟発行)という、氏が住んだ広島の福山市から出た追悼記念誌を見つけ、少々邪道ながら、ようやく氏の作品を垣間見ることができたのである。

本書には巻頭に16頁にわたって氏の写真アルバムが付けられ、本文には氏と交友のあった井伏鱒二、安住敦(『春燈』の主宰者、俳人)、村上菊一郎(仏文学)、小倉朗(作曲家)、永瀬清子を始め、21人の地元の旧友や詩、俳句の教え子たちがエッセイや評論を執筆している。後半には単行本未収録の氏の随筆や詩、俳句も収録されている。各々が氏のおもかげや作品の特質を浮き彫りにした力作ぞろいで読みごたえがある。

木下夕爾
木下夕爾

これらを読むと、氏が多くの人たちから愛され、尊敬されていたことがよく分る。この中にかなり多くの夕爾氏の詩や俳句が引用されているので、私は初めてその作品の一部に接することができたのである。とくに戦前の初期の詩は、当時の堀口大学を筆頭とするモダニズム詩の影響を受け、身近な自然を新鮮な表現で描き、それがそのまま自己の内面を投影しているものが多く、大へん引きつけられる。

例えば、永瀬清子さんは夕爾氏の詩の一節、「カタバミの葉っぱは/暑中休暇のように酸っぱい」(夏の手帳)などを引き、それらの表現は「木下さんの自身の、感覚というよりも肉体そのものに即しているので、云わば彼の高性能の感覚に発している。」と鋭い指摘をしている。好きな詩は一杯出てきて大いに迷うのだが、ここではひとまず、永瀬さんも引用している「林間」のみ、紹介しておこう。

はじめての春の雨が
落葉松の芽をぬらして
さっきこゝを通ったのだ
ほそいうなじをかけむけて
私の真似をして 思案にくれながら

永瀬さんは又、夕爾氏の詩が「割に短い詩形であり」「小気味よくまとまっている」ゆえ、「俳句とむすびつく必然性が非常に多かった」とも指摘している。さらに彼の詩の技術の養分の一つとして、郷土そのものがもっている味の他に、「その幾分は彼が薬学という勉強の結果に負うているにちがいない」というユニークな見方を示している。彼は家業を継ぎ薬局を経営していた。これは、小学校以来の友人、松浦語氏が夕爾氏の憶い出を書いている中で紹介している、松浦氏に氏が言った「僕の詩はフラスコの中から生まれる。そして、蒸留水を掬うんだ」という名文句や「薬を盛るのは芸術だよ。劇薬変じて良薬となる…(略)…ぴしゃりの薬を作るのは詩も同じ、確かに創作だよ」という言葉とも呼応していて興味深い。

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