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古書往来
34.詩人、黄瀛(こうえい)と日本の文学者たち

十三は私の仕事部屋がある駅から阪急で一駅なので、仕事がヒマになると(いや、年中ヒマなのですが)、時たま思い出しては出かけ、青空商店街をしばらく歩いてゆくと、左手に旧い古本屋が一軒見えてくる。過日、真夏のきつい陽ざしにさらされながら、その店にヨロヨロたどり着き、平台に所狭しと積み上げられた雑誌や本を漁り、ある一山の端から見える本の背を顔を横にして眺めていたら、下の方にタイトルも定かでない薄い色の見慣れぬ小冊子が目に止った。こんな折はとりあえず抜き出して、どんな本か一応確かめるのが私の古本漁りの習性である。

「詩人黄瀛 ─ 詩集≪瑞枝≫復刻記念別冊 ─」表紙
「詩人黄瀛 ─ 詩集≪瑞枝≫復刻記念別冊 ─」表紙

見ると、それは『詩人黄瀛 ─ 詩集≪瑞枝≫復刻記念別冊 ─』(蒼土舎、昭59、限定千部)という110頁位の本であった。「ほぉ、こんな本が出ていたのか!」と例によって胸が高鳴った。ただ、中をのぞくと、旧蔵者が頁のあちこちに朱や緑のボールペンで傍線を引き、熱心に読んだ跡が伺われ、どうもなぁ、と思ったが、資料として貴重なものだし、600円と安いので、喜んで買って帰った。

実は、これもいつもながらの偶然で恐縮なのだが、そのしばらく前に、朝日新聞(平成17、7・18)の投書欄の左の「時流自論」欄に、王敏(ワン・ミン)という法政大教授で日本の近代文学と中国との関係を研究している女性が「黄瀛と『もう一つの祖国』」なる題で、黄瀛の生涯と日本の関係を簡潔に紹介している珍しい評論を読んでいたので、不思議な感じがした。(同時に、これは原稿のネタになると思ったのも正直なところだ。)

黄瀛については以前から何となく知ってはいて、戦前から日本の詩人や文学者と交流があった中国の詩人、位のイメージはもっていた。たぶん、石神井書林の目録などで、黄瀛が昭和9年、ボン書店から出した豪華版詩集『瑞枝』(限定400部)が載っているのを見て以来だろう。しかし、その詳しい経歴は知らないし、肝心の詩も、殆んど読む機会がなかった。(おそらく各種の日本近代詩のアンソロジーにも殆んど載っていないだろう。※1)『瑞枝』の元本は高価で、むろん手が出ないが、その復刻本が出ていたことも今まで知らなかった。※2

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目録に掲載されている 豪華版詩集「瑞枝」の写真

※1 先日、OAPビルの古本展で見つけた『現代詩集 ─ 歴程篇』(角川文庫、昭27)には、わずかに3篇だが、黄瀛の詩も収録されていた。
※2 最近、内堀弘『ボン書店の幻』を一気に通読したが、本書のこともわずかながら言及されていた。大部以前、古本で入手した折、拾い読みしたが、見過してしまったらしい。

ここで、黄瀛を知らない人のために、この冊子や王敏さんの紹介を借りつつ、簡単に履歴を書いておこう。
黄瀛は明治39年、中華民国四川省重慶に生れる。母は日本人で、千葉の師範学校を卒業し、日清交換教員として大陸へ赴任。重慶師範学校長、黄沢と結婚する。黄沢の早逝後、黄瀛8歳の折、一家は日本へ移住。東京の私立中学から山東省青島(チンタオ)の日本中学に編入する。
その後、日本に留学し、与謝野寛・晶子夫妻らが教える文化学院に入るが中退し、母の意向に従い陸軍士官学校に入学する。16歳の頃より日本語による詩作を始め、大正14年、『日本詩人』の千家元麿選第一席に「朝の展望」が入選。師と慕う高村光太郎宅へ出入りする。当時、中国にいた草野心平と文通し、『銅鑼』創刊号から参加。昭和5年、詩集『景星』(私家版、100部)を出す。昭和9年『瑞枝』(※3)出版で日本の詩界での評価が高まる。


※3 『瑞枝』を出したボン書店については、前述の『ボン書店の幻』(白地社)で、その出版活動の軌跡や社主、鳥羽茂の生涯が詳しく追跡されているが、この出版のいきさつについても名探偵、内堀氏に調べてほしいものである。

陸士を卒業後、昭和10年日本を離れ、国民政府軍将校として活躍。第二次大戦終了後、解放軍に転換、文化大革命中は11年半にわたり拘留され、消息を絶つ。62歳より重慶市の四川外語学院日本語学科教授として日本文学を教える。(前述の王敏さんはその第一期生とのこと)戦後は1984年より五度程来日している。(現在、98歳!)

この略歴を見るだけでも、日中の国境を越えて波乱万丈の人生を歩んできた人であることが分っていただけよう。私はこのスケールの大きい、黄瀛と日本の文学者たちの交流を軸にした日中合作映画をぜひ造ってほしいと願っている。(黄瀛の母には吉永小百合がいい!)

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