15.『こんなとき私はどうしてきたか』

京都には、知る人ぞ知る「けいぶんしゃ」という本屋がある。以前は夜11時まで開いていたのだが、最近は10時に短縮されたかな? いずれにしても発見がある本屋としてはぴか一である。以前そこでアルバイトしていた学生が、「けいぶんしゃ」ではアルバイトが一棚を任されていて、自分の好きな本、気に入った本を並べているのだと教えてくれた。道理で他人の本棚を見るような意思が感じられる。雑然としていて、そのくせとことんマニアックなのだ。勢い発見も多い。毎回行くたびに、この人が並べているのかな、とアルバイト店員の顔をまじまじ見てしまう。決して訊かないのだが……。そんな本屋で見つけた本、『こんなとき私はどうしてきたか』……そこで扱われている、ささやかな言葉の違いがもたらす効果…。

今日できることを明日までのばそう……全部? それは無理!
今日できることは明日までのばそう……それができないから、こうして病んでいるのよ!
今日できることは明日もできる……分かってるけど、決断できないの!
今日できることも明日までのばそう……そうねえ……


それはいっときである……いやもう、未来永劫続くに違いない!
それはいっときかもしれない……そんな……やっぱり信じられない!
それはいっときかもよ……でも……今まで何度もあったもの!!
それはいっときだよ……そうかしら……そうねえ……


ここでは書評はやらないことにしていた。書評はそれ自体で一つのジャンルだし、何より書評で本を書いた友人が、毎週本を読むのに青息吐息で苦しそうだったからである。それにここは創元社のコラムだし……やっぱり他社の本を挙げるのはまずいだろう。でもタブーを作って文章域を狭めていると、やがて枯渇する……と思って、あえて書くことにした。

いや書評ではない。書きたいのは中井久夫先生の文章讃である。サリバンの本のタイトルを『精神医学は対人関係である』とされたのは素晴らしい。冒頭のところでサリバンが日本で見直されていると語った先生に対するアメリカの医者たちの反応を語るくだりで、「ありえない」と訳して「インポッシブル」とルビを振る感覚が素晴らしい。上掲書『こんなとき私はどうしてきたか』で、索引に専門用語でなく「火星で祖父母に出会ったら」だの「123456789」だの「七転び八起きっていうし。べつに七遍ころばなきゃいかんことはないけど」というのを項目として掲げるセンスが素晴らしい。眺めているだけで本文内容が思い出されてくる、こんなのがほんとの索引だと思う。何よりもこうしたひそかな工夫が随所にちりばめられていて、読んでいて楽しい。先生の臨床実践も同様であろう。何派なんて関係ない、中井久夫先生の語りが精神療法である。