16.ファラオの墓

聖地のオーラは乏しかったが、
ファラオの執念は凄まじかった。
乾燥し枯れて砂だけになった大地に、
なお横たわって形だけでも残そうとする、
その執念と妄執……
生き返ること、
逝き帰ること……

日本の王墓、高松塚古墳に、
河合隼雄先生がやられたのも、
さもありなん……
王家の執念と妄執は、
心理臨床を我が国に定着させようとする、
その目論見など歯牙にもかけぬほど、
厚く深く、
貪欲で業腹……


この夏、10年来の念願だったファラオの墓参りに行って来た。前回行こうとした時は、ちょうどエジプトでテロリストの乱射事件があり、当時分析を受けていたスイス人の分析家が住むツォリコン町内会の団体と、日本人の団体が事件に巻き込まれて多数負傷したところだったから、ビビッて行かなかった(※注1)。事件のあったところはルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿前。ちなみにこのハトシェプスト女王は、古代エジプト唯一の女性ファラオで、1903年に王家の谷で発見されていたミイラが、2007年6月に身元が判明して彼女だと認定され、現在はカイロのエジプト考古学博物館に収められている(※注2)

遺跡を見に来る観光客で外貨を稼ぐエジプトでは、遺跡の発掘や保存は国家の最優先事項だが、我が国ではおざなりの保存事業。故河合隼雄前文化庁長官は、ことの本質は見極めておられた。「せめて文化庁に今までの二倍の予算があれば、高松塚は護られた。」

しかしこれは、永遠の太陽神を奉るエジプトと、諸行無常を文化の根幹に据えた日本の精神性の違いのなせる業かもしれない。確かに河合先生は、高松塚古墳がカビで劣化したことを謝りながら、一方で顰蹙(ひんしゅく)をかうことをあえて厭(いと)わず、「日本文化はわび、さび、カビ」と笑いをとっていた。諸行無常、人為はやがて滅び行くもの、自然の営みに呑み込まれていくもの、決して永遠などありえないこと……ピラミッドと高松塚の命運の違いに、王家の妄執を支える基盤(文化)の違いを感じずにはおれない。

注1
ツォリコンはメダルト・ボスやビンスワンガー、箱庭療法のカルフ女史が住んでいた町で、昔のユング研究所があるチューリッヒ市内と今の研究所があるキュスナハトのちょうど中間あたりに位置する、ギョーカイ人にとって由緒ある地域である。
注2
山岸涼子のマンガ「ハトシェプスト」で彼女の名前を知ってる人は相当通である。実物のミイラは長い金髪が残っていて、みごとに女性だった。それにしても、細川智栄子「王家の紋章」、竹宮恵子「ファラオの墓」、山岸涼子「イシス」……と、少女マンガは古代エジプトがお好き?