13.断念無念

努力しても無駄。
生き永らえても無駄。
お金を儲けて、
綺麗なお嫁さんを貰って、
立派な子どもを育てて、
充実した老人施設で晩年を過ごしても無駄。
愛しても無駄。
愛されても無駄。
これさえなければ、
この病気さえなければ、
この症状さえなければ、
この人さえいなければ、
この世の中さえなければ、
幸せになれるのに……って考えても無駄。

……それでも、それだから、今日も生きていけるのだと思う。


心理療法をやっていて、さまざまな悩みや苦しみや愚痴を聞いていて、その諦め切れなさに息苦しくなることがある。病気で動けないことを諦め、愛して欲しい人に振り向いてもらえないことを諦め、仕事や給料や地位に恵まれないことを諦めたら、本当に諦め切れたら、生きていることは結構楽しくなるのかも知れないが、諦め切ることはものすごく難しい。あんまり難しいので、諦めることを諦めないといけないくらいである。

生老病死は人の常、どうせわが身に起こることならば、見かけ倒しでも安心立命の境地とやらに身を委ねてみたい。「どーせ死ぬんだっ!」と絶望的に叫んで見せるより、「どーせ死ぬのか……」と小声で呟いて死体のポーズをしてみる方が、何だか生きている実感が得られるような気がする……。老いを受け入れられず、病を託(かこ)ち、なけなしの地位や財産に汲々とし、人の無情や恨みを憂う……そんな生の営みを死体のポーズで眺めたら、ひょっとして生きている人たちが愛おしく見えてくるのかも知れない。

倒れて後一年、あえて潔く逝くことを捨て、生苦の床に臨んだ河合隼雄先生が我々に伝えようとしていたことの一つは、諦めきれない我々の生への執着を愛しむことだったのではないか。「アホやな、僕もあんたらもいずれ死ぬんやで……」と笑いながら、夜毎我々の夢の中を飛び回っておられたのではないか……。

突き抜ける蒸し暑い夏の空のもと、お盆の昼間に降りてきた思いを言葉にしてみた。河合先生、ご苦労様でした。