5.風が吹くとき、もしくはドラゴンヘッド

空から風が吹いたから……
緑の扉が開いたから……
陽光が目くるめく極彩色の塊に見えたから……
脳天から底が抜けたような悦楽の快感が迸(ほとばし)り出て……
湖の底に折り重なる死体が沈んでいるのが見えて……
あらゆる宇宙の神秘が繋がっていることが解って……
クリゴラ、クリゴラ、アンゴレラ……
トン・ツー・カンの双胴船で、セミラドヌ神がやってくる……


不可思議な体験は、どこからやってくるのか説明がつかない。

確かにピュアで、生々しく、極彩色の輝きをもつ、甘露の香りが漂う、口から胃が飛び出てきそうな、毛細血管の隅々まで膨張してくるような、天空一杯に黒雲が覆い尽くす、体中の体液が迸り出てくるような、筆舌に尽くしがたい「体験」は実際にあるのだけれど、それは自分の体の内側からやって来るというよりは、むしろ外側から突然降りてくる、降ってくる、抜け出てくる、顔をのぞかせる、呑み込まれる類いで、その意味ではやはり、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!(※注)というところだろうか……。そのリアリティたるや生半(なまなか)のものではないので、精神分析家のラカンがソレを「現実界」と呼んだのもむべなるかな……である。

問題はソレとどう付き合うかというところ。逃げれば追われる、追えば狂人扱いされる。のめり込んでしまえば人の世から外れねばならず、ないものと無視し続ければ途方もないしっぺ返しを食らう……。つかず離れずほど良い距離をとって、共に生きるのがお作法とはいえ、一度ソレを味わってしまうと、圧倒的なその魅力とパワーに魅入られるか、呑み込まれるか……少なくとも傍らにあるものを無視して生き続けられるほど、人は無機質ではありえない。

思うに心理臨床という生業は、ソレと知りつつ「想像界」で生き延びる算段を工夫するところに、その真骨頂があるのではないか。「自我を強くする」、「蓋(ふた)をする」、「自我自己軸の疎通性を高める」、「自己実現」……そんなことは実はどうでもよいことで、薄々あるいはあからさまに知ってしまったソレに、実は籠絡(ろうらく)されながら、知らぬぞんぜぬを決め込んで、精一杯素面(しらふ)の面持ちを崩さぬようにする。哀しいかな僕の心理臨床など、所詮その辺りを彷徨(さまよ)う営みでしかないような気がする。あなたの心理臨床は、どうですか?

この手の引用は出典を明記するのがネット上のお作法かと……(http://dokoaa.com/kita/参照)。