3.のぞき窓

見られたいけど、見られたくない
聞かれたいけど、聞かれたくない
言いたいけれど、言いたくない
知って欲しいけど、知らないままで
解って欲しいけど、自惚れないで
あなたになんか、頼らないから…


昔、peeping Tomという単語(※注1)を初めて知ったとき、とても心を惹かれた。それが初めて知った英語の俗語だったから、というだけではない。窓の隙間から、こっそりのぞくトム君をイメージして、何だかもの凄く後ろめたくてゾクゾクした……そんな背徳の匂いに惹かれたからだろうと思う。カウンセラーの僕の心の奥には、このトム君が住んでいる。僕がこの仕事をしながらも、後ろめたく思い続けているのは、たぶんこのせいだろう。そうして、このコラムのタイトルを「こころの(のぞき)窓」としてもらったのは、そんな自分への警鐘といい自己わけ分析がある。

一般化は他の同業者たちに失礼かも知れないが、概してカウンセラーには人の心をのぞき込もうとする悪しき習性があるように思う。だから「NANA」に出てくるヤス(※注2)のように、ただ手を取って黙って聞いているなんていう芸当を演じることができるカウンセラーは、思いのほか少ない。訊かずに聴く、尋ねずに訪ねる……クライエントさんのこころへのコミットメントの技法は、実はカウンセリング各流派の秘伝の類いである

ところで多くのクライエントさんは、言わずに分かって欲しいと願いながら、語るためにカウンセラーのもとに訪れる。分かって欲しいけど分かられたくない。頼りたいけど頼れない。そんなアンビバレントな葛藤を抱えているから、カウンセラーのもとに来て沈黙するといった、矛盾した振る舞いをしてしまうのだろう。

そういえば最近気づいたことがある。「2ちゃんねる」でカウンセラーの無能をさんざん揶揄している人たちが、実は一番我々の行く末を案じてくれているということを。踏みつけられて、叩きのめされ、嘲笑されて、「お前なんか必要ないんだ!」と、罵られれば罵られるほど、後ろめたさがちょっとだけ薄れて、ただひたすら傍らにいるという本来の仕事をしている気分になる。その意味じゃカウンセラーは、究極のドM(自虐的)な職業なのかも知れない。

注1
「のぞき魔」の意。
注2
「NANA」は、2500万部売れている矢沢あいの青春マンガ。ヤスは主人公ナナを支える坊主頭の司法修士生上がりのバンドドラマー。