2.お尋ね者

「あかんねん」とあなたが言う
「なんであかんねん」と僕が言う

「嫌やねん」
「なんで嫌やねん」

「会いたくないねん」
「なんで会いたくないねん」

「なんでってきくから…」
「…そやから、なんでなんでってきいたらあかんねん」


なんでという問いは人を追い詰める。厄介なのは、追い詰めている方は、追い詰めていることに自覚がないことで、むしろ追い詰めている方が、追い詰められているんだと思い込んでいたりするからである。

尋ねることは答える側に責任を取らせることで、尋ねる側はいつも安全地帯。だって答えを待っていればそれでいいから。新米カウンセラーは、だから一生懸命クライエントさんに問い掛ける。「なんで?」「なぜ?」「どうして?」……そうしてその尋ね方が、的を射ているかどうか、正しいかどうかを確認しようと、またスーパーヴァイザーに尋ねる。「これでいいでしょうか?」「間違ってはいないですよね?」

同時にまた、尋ねることは疑義の表明であり、時には非難であったりさえする。「どうしてそんなことを言ったの?」「なぜそこで我慢できなかったの?」「なんでお前はいつもそうやねん?」ケースカンファレンスなどで、偉い先生がそんな風に問い始めると、場が途端に緊張する。先生は何を咎めようとしているのだろう? いったい、どんな落ち度があるというのだろう……。

さしあたり人は教えられた通りにしかできないから、新米カウンセラーの教育に特に気を遣うのはそこである。決して尋ねないように……そんな形で非難したり、咎め立てしないように。それはそのまま、クライエントさんに適用されることになるから。「どうしてそんなことを言ったの?」「なぜそこで我慢できなかったの?」「なんでお前はいつもそうやねん?」

じゃあ、どんな風に尋ねればよいのか……そこはそれ、僕の秘儀だから、簡単に種明かしはしない。知りたい人は直接僕おたずねください。