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古書往来
9.淡路島の女性歌人の話

神戸での古本漁りの話を続けよう。

久しぶりに三宮のG書店に立ち寄り、文芸書の棚を見終え、念のため美術書の棚を見回していた折、その前に床から雑然と積まれている本の上に置かれた1冊がチラッと目に入った。

川端加寿著『川端千枝の想い出』(昭42、短歌新聞社)というわずか60頁程のシンプルな装丁の本である。前から読みたかったが、東京のS書林目録では5000円もしていて手が出なかったものだ。これが何と600円!

こういう瞬間のドキドキ感は古本好きの方なら誰でも身に覚えがあろう。さすが、神戸の古本屋だなと思ったのは、この大正〜昭和にかけて活躍した閨秀歌人の一人が淡路島出身の人だからだ。この本は、その一人娘の歌人の加寿さんが母の生涯と思い出を、心に残る短歌を引きつつ暖かい文章で簡潔に綴ったものである。

私がこの歌人を知ったのは、昨年、M書店の均一台で手に入れた清水健次郎『麦笛』(昭51、私家版)という410頁の詩文集の中の「ふるさとのうたびと ── 川端千枝と川原保夫」を読んで以来である。奥付を見ると、清水氏も明治40年生れで淡路島出身の人、しかも大阪外大英語科卒(わが先輩!)で、英語教師の傍ら、椎の木同人として4冊の詩集を出し、本書に再録されている。詩の生涯の師である百田宗治の思い出を綴った文章も興味深いが、何を隠そう、前述の一文の巻頭に挿入された千枝さんの若き日の美しい顔写真にぐっと魅かれたこともまた、買った動機となっている。昭和36年にこの忘れられていた歌人を清水氏が世に紹介し、それが機縁となり加寿さんも前述の本を出されたという。

2冊から簡単に紹介すると、川端千枝は明治20年神戸に生れ、淡路新聞記者の川畑氏に嫁いだが早くに死別、姑に仕えながら忍苦の生活を送っていたが、短歌を作ることを覚え、前田夕暮の「詩歌」へ投稿する。大正10年、東京に移住し、杉浦翠子と最も親しくなり、実力だけで女流歌人の地歩を築く。その後、白秋主宰の「日光」や「香蘭」でも活躍。昭和7年、杉浦非水の美しい装丁で歌集『白い扇』を上梓している。結核で昭和8年、46歳の若さでなくなった。

加寿さんの思い出によれば、自分を可愛がることだけが生きがいであった母にも、生涯に何度かは秘められた悲恋のドラマがあったらしい。その一つは淡路島時代で、代表的な次の一首がある。「海越えて遠く来ませる君のため鳴門みかんをもぐ雨の中」。敬慕する前田夕暮との仲を結社の人から誤解され、二人とも困惑したこともあった、と正直に書かれている。

天性の美貌ともちまえの明るい性格ゆえに、思いを寄せる男性が現れたのもむしろ当然だろう。その後、吉屋信子が『ある女人像』で彼女の伝記を書いたが、それは憤りを感じるほど、主人公への愛情が欠けていると清水氏は言う。昭和45年に、吉屋は清水氏や加寿さんの忠告を踏まえ、今度はフィクションの原作で、「千鳥」という連続ドラマがNHKで放映され、かなりの反響を呼んだという。

最後に一首だけ私の好きな歌を紹介しよう。

うす光る線路に赤き錯覚は今しながめたるひなげしの花

麦笛 「川端千枝の想い出」表紙「川端千枝の想い出」書名部分拡大 未亡人時代
麦笛 「川端千枝の想い出」
表紙と書名部分拡大
未亡人時代

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