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古書往来
8.「ぐろりあ・そさえて」余話

仕事が全くヒマなので、久しぶりに我が郷里、神戸へ出かけ、まずロードス書房で大分ねばった末に見つけたのが、神戸の文化人が会員制で出していた雑誌「半どん」の<偉大な芸術家たち>特集号(昭39、10月)である。
この号は村上華岳、佐伯祐三、浜名与志春、金山平三といった神戸出身の画家や詩人を、その友人や弟子、子息らが回想した文章が多く収められていて各々とても興味深く、読み耽ってしまった。

なかでも国画創作協会の創立メンバーで、会が解散した後も独自の宗教的境地を深め、数々の名作を描いた村上華岳の子息、村上常一郎氏がその父を回想した一文を読んでいて、次の箇所に出会い、急に私の胸は高鳴った。

「華岳はブレークとジョットオを限りなく愛した。・・・昔の穴門筋に『ぐろりあ・そさえて』という出版社があった。寿岳文章さんがブレーク書誌をそこから出版されたのが1929年である。華岳はそこで寿岳さんと面識を得ている・・・」云々。

というのは、私は自著『古本が古本を呼ぶ』のなかで、この神戸で生まれ、後に東京へ移り、新ぐろりあ叢書ですぐれた小説や歌集、評論を多く出した出版社の軌跡を素描しており、その後も気になっていたからだ。

華岳はここから画集を出してはいないが、神戸、花隈の住人なので出入りしたらしいことが伺える。華岳が敬愛し交流のあった柳宗悦もここから名著『工芸の道』を出している。この出版社が当時の神戸の文学者や芸術家が交流するサロンともなっていた貴重な証言である。

そのわずか2、3日後のこと。月の輪書林が以前出した分厚い目録を何げなく拾い読みしていたら、『長尾良(ながお・はじめ)作品集』(昭47、皆美社)がふと目に止まった。私の中でパッとひらめくものがあった。長尾良といえば、一時、ぐろりあ・そさえて編集部にいた人ではないか!

さっそく中之島図書館に問い合わせてみると、その本はないが、同著者の『太宰治その人と』(昭40、林書店)なら在庫しているとのこと、タイトルからして自伝的なものらしいので、すぐに借りて帰り、一気に読了した。

私の予感は的中した!この本は太宰が昭和13年、29歳の時に病気から退院した後、天沼の鎌滝家に独り下宿していた折、東大美術史科三年生の長尾が偶然訪ねて以来、太宰が結婚で甲府へ去るまでの2ヵ月間、ほとんど毎日のように生活を共にし無為に遊んでいたときの刻明な回想記である。

長尾氏も当時、「コギト」に作品を発表していた作家だけあって、太宰の実像を細部まで生き生きと伝える魅力的な文章だ。後半、太宰と別れ、大学院生の長尾が偶然、親籍にあたるぐろりあ・そさえて社長の伊藤長蔵と喫茶店で出会う。神戸で倒産して単身上京し、株でもうけた伊藤が社の復興を企図し、編集を手伝ってくれと頼まれ、週三回、編集長格で勤務することになる。

伊藤は雑誌も出したがっていたので、太宰にその折は小説を書かせようと、ある晩、伊藤に太宰を紹介したが、太宰の売り込み方のあまりに正直、素朴さに、伊藤や編集顧問の保田与重郎も反感をもち、結局雑誌は出ず、実現しなかったエピソードなどが出てくる。この本の発見は私にとって大きな収穫だった。

半どん ウイリアム・ブレーク書誌
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新グロリア叢書の一冊 装丁宗方志功
↑ 新グロリア叢書の一冊 装丁宗方志功

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