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古書往来
49.四方田犬彦「先生とわたし」を読む
─ 由良君美先生の想い出 ─

ところで、この評論で私がもう一つ注目したのは、1970年代、1980年代に由良氏が旺盛な著作活動を展開する中でかかわった、数々の個性的な出版社の側面史も描かれていることだ。1970年代にはせりか書房に無給顧問としてかかわり、御自身もジョージ・スタイナーの『言語と沈黙』(上下)を出している。おそらく由良氏のアドバイスと久保覚氏という天才的な編集者の働きで、カイヨワ、バシュラール、バフチン、エリアーデなどの著作が次々と刊行されていった。岸田秀氏にグローヴァーの『フロイトかユングか』の翻訳を勧めたのも由良氏だったという。懐かしいのは、私もバシュラールの『火の精神分析』を買ったり(これは根気がなく、全部を読み通せなかった。私はどうも翻訳ものは肌に合わないようだ。)、山口昌男氏の大冊『人類学的思考』を時間をかけて熱心に読んだ記憶があることだ。

「本の神話学」カバー
「本の神話学」カバー

山口氏の著作は『文学』に連載の「道化の民俗学」や『本の神話学』(中央公論、昭和46)も読んで、全く魅了され、ファンレター(あわよくば企画をと……)を出し、山口氏が京都へ来られた折、一度だけお会いしたことがある。知の巨人に初めて会ってコチコチになり、始終圧倒されたのを覚えている。後に私がフリーになって、初めての著書『編集の森へ』を出した際、山口氏の本からも何ヵ所か引用したので献呈したところ、温かい激励のおハガキをいただき、感激したものである。

1974年5月に、『図書』に載った座談会「人文科学の新しい地平」は、由良氏、山口氏、それに河合隼雄氏(当時は京大助教授)が縦横に語り合った、まことに知的刺激に満ちたものだった。(これは今も保存している。)河合先生とはおそらくその少し後に初めて出会ったはずである。私が河合先生のエッセイ集『カウンセリングと人間性』を初めて手がけて出したのが1975年1月のことだから……。こうしてようやく、私の編集者としての方向 ─ 臨床心理学や精神医学の分野 ─ が決ったといえる。

由良氏は次に、幻想文学を中心とした小出版社、牧神社や、思索社とかかわり、後者では人類学のヴァン・デル・ポストの著作集の監修を勤めている。(思索社といえば、河合先生の名著『影の現象学』やローレンツの本も出した所だ。前著は私も読んで引きずりこまれ、人間性への新しい、深い洞察を学んだ。これも後に、学術文庫に入った。)その後は『ユリイカ』に連載を開始した関係で、1972年からは青土社からエッセイ集を刊行し始め、『みみずく偏書記』(1983)、『みみずく古本市』(1984)など、楽しい本を次々と出してゆく(みみずくは氏の斎号とのこと)。

「みみずく偏書記」カバー
「みみずく偏書記」カバー
「みみずく古本市」カバー
「みみずく古本市」カバー

今回、図書館から借りてきた前著をひもとくと、これは本や読書についての氏独自の魅力的なエッセイを集めたもので、改めて読んでも新鮮で刺激的な文章が満載されている。とくに「序・跋・腰巻」「カタログを読む楽しさ」「CROSS-MODALな書誌を」「学際のすすめ」など、まことに示唆に富むものだ。所々に見られる出版界への批判も手厳しい。

この評論で初めて知ったのは、氏は晩年、緑書房の社長、中村利一氏と出会って意気投合し、由良氏が大好きな大正のコスモポリタン作家、大泉黒石全集を企画監修したことである。こんな全集が出ていたとは初耳である。前述の『文化のモザイック』もここから出ている。さらに氏の死後、奥様の手で、遺稿から選んで五冊の豆本(例えば『湖国の夢』1995、未来工房)を刊行したというのも新情報である。由良氏の豆本はたしかに時たま古本屋の店頭や目録で出ているのは目にしたが、既刊本の文章から選んだものと思い、入手しなかった。今後、ぜひ探求したいものだ。

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