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古書往来
23.机をゆずり受ける文学者たちの話

学者や物書きの人にとって、書斎は仕事のための必須の空間だが、知性派サラリーマンにとっても、自分の書斎をもつことは理想であり夢でもあるらしい。

その中心に座を占めるのが<机>であろう。(むろん本棚やオーディオ機器も必須だが)

私はある時ふと思いついて以来、古本漁りのかたわら、この机や書斎、さらには文房具にまつわるエッセイを見つけては蒐めてきた。

すでに40篇以上はたまったので、いつかこれらをアンソロジーにまとめて面白い本に仕立てたいのだが、今のところ、まだ出してくれる出版社が見つからないのが残念だ。誰か関心をもって下さる編集者の方はおられないだろうか。

今回は、その中からとっておきの、ごく一部を紹介してみよう。

まず川端康成の『文章』(昭和17、東峰書房)所収の「四つの机」から。

川端は「机は今四つある。」と書き出し、「四つのうちで一番古い花梨の机は、その由緒を裏側に刻みつけて置きたいほど、なつかしい記念物である。つまり、横光利一、池谷信三郎、川端康成の三人の作家が、この机から出発したとも言へる、めでたい机である」と続けている。

どういう来歴かと言うと、友人の池谷信三郎(『望郷』や『橋・オランダ人形』を書いたモダンな作風の作家)が家をもったとき、机がないので横光からそれまで使っていた机を貰った。

「望郷」表紙 村山知義装丁
「望郷」表紙 村山知義装丁

その机で池谷は仕事をして新進作家となった。

川端が二十代の頃、高円寺で所帯をもった折、机さえなく、桂の碁盤を稿料代りに貰ったのを机代りに使っている有様を横光が見かねて、池谷にゆずった机を、今度は川端へ送らせたのだという。

「私は高円寺、熱海、大森、上野桜木町と移り住む数年の間、この机で書いた。『文藝時代』の頃から『浅草紅団』の頃までである。」

「浅草紅団」表紙
「浅草紅団」表紙

三人の青春時代の友情が刻印され、各々よき作品を生み出した机なのである。

他にも三つの机と、古賀春江から死後に貰ったという地震の避難用に頑丈に作られた机について記している。

次に『久保田万太郎全集14巻』(昭和22、好学社)に出てくる「机の記」も印象深い。

万太郎が、今、目の前で原稿を書いている机は、尊敬する島崎藤村先生が小諸から上京する折、義塾の職員や生徒一同から餞別として贈られ、その後三十年余り、その机で『破戒』、『春』そして『家』を書いてきた、その机である。

万太郎は続けて「大正二年、フランスの旅へお立ちになるとき、先生、その机を当時籾山書店をやっていた籾山仁三郎さんに残しておいでになりました。それを大正十三年に、籾山さんからわたくしが頂戴したのであります」と述懐する。

この籾山書店は橋口五葉の華麗な装丁で有名な胡蝶本シリーズや俳書、永井荷風、堀口大学の本などの名著を数々出した所で、籾山氏もすぐれた俳人であった。大正12年、「関東大震災で浅草を投げだされ、文字通り無一物になった」万太郎に籾山氏が同情したからだという。

これは佐久地方の松の一枚板でつくった机で、その裏には、藤村に餞別で贈った一同の代表である斎藤先生の記念の短歌、藤村が籾山に贈った折の歌「春雨はいたくなふりそ旅人の/道ゆきころもぬれもこそすれ」、さらには籾山(梓月)が久保田兄におくった折の俳句「春寒や机の下のおきこたつ」の筆が各々残っている。何と風雅な机であろうか。

そして、あのしみじみとした万太郎節で、藤村先生の仕事と人生の様々な不幸をかえりみ、「・・・すなはちこの机は、先生のその不幸をずっとみつづけて来てゐるのであります」と書く。このように、この机は三人の文人を結びつける由緒深い机なのだ。

新しいところでは、水上勉の『文藝遠近』(平成7、小沢書店)に「小さな仕事机」がある。

水上が戦後の若き日、編集者をしていた頃、晩年の宇野浩二に気に入られ、宇野宅に通って筋肉痛に苦しむ宇野の口述筆記をしていた。宇野の書斎は和室八畳で昼でも暗く、机の周囲に様々なものがちらかり、「深山幽谷」の趣であったという。

「机はヨコ八十センチ、タテ四十センチぐらいのいわゆる学生机の上等のもので、材質は固く、木目もこまかくて、艶光りしていた。」

宇野の死後、「二つの机の一個をぼくに使ってくれぬかと贈られた。」が、未だに先生の机には複雑な思いもあって、自分の机の側に置いて、いろんなことを考え、思いめぐらしている。

そして、今さらながら、大きな仕事をした人々の机は、小さかった、と感じ入っている、などと書いている。これも師と弟子をつなぐ思いのこもった机である。

「玉川上水」
函
「玉川上水」函

木山捷平が終生愛して原稿を書いた机も、友人の作家、蔵原伸二郎からもらったもの。

蔵原は名作『目白師』(ぐろりあ・そさえて)や詩集『岩魚』などを残した私の大好きな作家である。(前者はつげ義春の『無能の人』に共通する独特の世界だ。)

木山の『玉川上水』(1991年、津軽書房)所収の「わが文壇交友録」によれば、昭和八、九年頃、近くに住む蔵原の家に遊びに行った木山は縁側に放り出された古い机を、蔵原が「おまえ、いればやろうか」と言い出したので、気がかわらないうちに持って帰ることにした。

「その机は面積がひろいところに魅力があった。大きな引出がついているところにも魅力があった。杉の一枚板で外見はあまりよくないが、使い心地はいいに決まっていたので・・・(後略)」と書いている。

蔵原に五十銭払って二人でかかえて帰ったと木山は回想している。

以上、いずれ劣らぬ文学者同士の友情が刻まれた机たちのエピソードである。


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