35.「世のため 人のため」

散髪屋でオッサンが語っていた。
「ワシもそろそろ歳やさかい、人のために何かして死のうか思てんねん。どこぞ寄付でもしようかしら……」
「何ゆうたはんの。それやったらうちに寄付してんか。ナンボでも受け付けますえ」
「いやいや、そやのうて、誰ぞ困ってる人に、ちょっとでも足しにして貰お思てな」
「そら、貧乏でお金のうて、ピーピーゆうてる人、ようけえ知ってまっせ」
「うん、そういう人に、どないしたらちゃんとワシの金届くやろ?」
「そらお父さん、私に預けるのが一番や。吉田さん、ええ人やさかい、寄付なんてゆうたら、あっという間に業突張り(ごうつくばり)が群がりまっせ。私やったら、こないな安全なことあらへん。なんせこの辺りで、一番貧乏でお金のうて、ピーピーゆうてるの、私とこやもん。まずは私に、寄付してえな。もう要らん、ゆうくらい感謝しまっせ」
「いや、感謝はしていらんねん。自分のためやのうて、世のため人のため、や」


死出の旅路に余計な荷物は不要。財産だの勲章などは、その意味でホントに余計なものかもしれない。それを他人に預けて身もこころも身軽になって、朗らかに来世に向おうというのは、とても健康的な発想である。そんな気分の人にとっては、感謝さえも余計な重荷、できれば人知れず陰徳を積んで、おさらばといきたい。

そういえば街角で立っている助け合いや寄付の献金少年少女、昨今はバイトで雇われた人々もいて、集まったお金はどこかの誰かに持って行かれるという。世知辛い時代になったものだ。ただ、「情けは人のためならず」の原義(注1)にもある通り、善行は善行をした人に徳が宿るのであって、特に相手のためではないという視点に立てば、これはこれでありなのかもしれない。

ただもう一段すごい解釈があって、昔仏陀が弟子たちに「貧しい人たちの所に行って喜捨を求めていらっしゃい」と言ったという。貧しい人たちは貧乏だから、喜捨をして徳を積むということを知らないからだそうだ。どこかの社長が、この話を引用して、「だから我々は、貧しい人たちにもお金を使うことを教えてあげないといけない。それが相手のためにもなるのだ!」と訓話をしたという。なんとも恐ろしい話である。こんなことなら、本当に近所の散髪屋のおばちゃんにでも寄付する方が平和でいいのかもしれない。そういえば、昔『パタリロ』にもそんなギャグが載っていたな……「恵まれない子どもたちに愛の手を」「恵まれない子どもたちって、誰です?」「僕だ!」……チャンチャン。

注1
この言葉を如実に示す逸話として、お寺に大金を喜捨した商人が、「ありがとう」も言わずに受け取る坊さんに文句を言った所、「お前が徳を積むのになぜわしが礼を言わにゃならん!」と一喝したというのがある。