【著者プロフィール】

写真:北井一夫

1928年東京に生まれる。元、早川書房編集者。同社を退職後、チャールズ・E・タトル商会で勤務する傍ら、ペンネーム内田庶(うちだ ちかし)名で数多くの児童書の執筆・翻訳を手がける...

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    一般に「翻訳権10年留保」と呼ばれているのものだが、1928年以前はベルヌ条約パリ追加改正条約、それ以降は同じくベルヌ条約のローマ改正条約で国際的に認められていた留保条項に基づく条文である。もっともヨーロッパではそのとき、10年留保を撤回した国が増え、オランダ、ギリシャ、ユーゴの3か国のみが引き続き留保していた。いずれにしても、日本だけがその特例の恩恵を蒙っていたわけでない。
    『事件簿』の場合、改造社は10年以内に翻訳出版するので、「極東僻遠の地」からイギリスまで文通して契約した。そして大正の終わりから昭和のはじめにかけて各社から翻訳出版されたそれ以前のホームズものはすべて、10年を経たのち出版されていたので翻訳権が消滅していて、断る必要もなかったことを意味する。
    重要な発見であった。それでもまだ私は、インプットされた「無断翻訳伝説」を信じていた。だが、それ以降、私は何回となく、戦前の海外著作者の印税受領を知らせてきた手紙、翻訳出版承諾の電報などを見せられた。みな10年以内に翻訳出版されたものである。海外の権利者の許諾を得て翻訳出版されていれば、著作者の死後30年まで翻訳権は存続することは条文のとおりである。
    ところが「無断翻訳伝説」のため、戦前、「法律を遵奉し」海外の著作権者の許諾を得て発行後10年以内に翻訳出版されたものであっても、その手続きが取られていないと見做された。そのためそれらを翻訳権消滅として、戦後、自由に翻訳出版されていた。
    こんどこそほんとうに無断翻訳したことになるのだが、「極東僻遠の地でなされるので」「先方にはわからなかった」奇妙なことが起きていた。その例は、私が現役中、次から次とあらわれ、なかには権利を取得したところと、消滅したとして翻訳出版したところとのトラブルになるものさえ生じた。
    戦後、性の解放とともに啓蒙書として、全訳が各社から競って出されたヴァン・デ・ヴェルデの『完全なる結婚』などその典型である。戦前、原書発行(1928 昭和3年)後10年以内の昭和5年(1930)、平野書房が権利者と契約を交わして翻訳出版していた。その事実を知った河出書房が、改めて許諾を得て再出版するまで、長らく翻訳権消滅と考えられていたのである。『シャーロック・ホームズの事件簿』もその例のひとつといえよう。
    あえて「伝説」と言うのは、私はそれを実務でそうでないことを知ったからである。

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