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古書往来
59.原稿用紙と鉛筆の話 ─ 作家たちのこだわり

今年の夏は酷暑続きで体力に自信がなく、欠かせぬ私用もあったため、京都下鴨の古本祭りにも一度も出かけられなかった。「スムース」の同人達の奮闘ぶりを仄聞するにつけ、そろそろ古本者退場を命じられそうなこの頃である。そのためもあって、なかなか新しい古本のネタも仕入れられず、今回もありあわせの材料で一席伺うことにしよう。

「とちりの虫」カバー
「とちりの虫」カバー

先日、以前古本で買ったままになっていた安岡章太郎『とちりの虫』(光文社文庫、昭和59年)─ 山藤章ニの絶妙な似顔絵のカバーも面白い ─ を文庫本の山の中から拾い出し、パラパラと見ていたら、「先輩の忠告」なる二頁のエッセイが目に止った。
その書出しには「だいたい原稿用紙にこるなどというのはイヤ味であるし、それを人に言い触らしたりするのは、馬鹿げたことだ」とある。そして氏が若い無名の頃に先輩に忠告された次の言葉を紹介している。

「きみ、あんまりこった原稿用紙を使っていると、その紙が品切れになったとき、原稿が書けなくて、こまることがあるよ。(後略)」と。その当時は彼の言葉を馬耳東風に聞き流した。以来、何種類かの原稿用紙を手あたりしだいにつかってき、昭和三十年位から特定のものをつかいだした。(後述するようにおそらく満寿屋製のものだろう。)ちなみに原稿は鉛筆で書くそうだ。今から十年位前にその原稿用紙を特別注文で八千枚こしらえたという。
「(略)その紙がなくなりかけてみると、急に私は他の紙では原稿が書けなくなっていることに気がついた。……略……実際に書けないのだ」と告白する。そして「これは要するに、老年になるにつれて、ちょっとした習慣を切りかえることがムツかしくなるということなのだろうか」と考えこんでいる。
これは前回の連載で、寺本知氏が銭湯で観察した老人の固定した行動パターンとも共通する! そこで、同じ紙屋に再度注文したところ、「もうあの紙はございません」と言われ、氏は困惑してしまう。最後は「やはり先輩の言うことは、こころしてきくべきである」と巧みに一文を結んでいる。
私は、この気の効いたエッセイを読み「うーむ、物書きの原稿用紙をめぐる話も面白いではないか」と内心つぶやいた。

もっとも、現在では若い作家や研究者の多くはパソコンもしくはワープロを使い、昔のように原稿用紙に手書きで向かうことは時代遅れになっているようだが、それでも作家たちのエッセイを読むと、未だに手書きで書いている人がけっこういるようだ。以前、講演で聴いた話だが、藤本義一氏はパソコンだと同じ言葉(例えば私という人称)が一括変換されるので、言い回しが紋切り型にパターン化され、表現の多様性が失われる、といった主旨の信念でもって手書きをあえて選択している、と伺ったことがある。
小川洋子さんは、ワープロを使っているが、出来上った文章は原稿用紙に印刷している。原稿用紙の「ますめ」にこだわりがあるからだという。「小説を書くということは、小さく閉じられたあの四角い空間に、言葉を一つ一つ封じ込めてゆくことではないかと思う」と独自の見解を述べている(『私のワープロ考』安原顕編、メタローグ、1994年所収)。
また、先日興味深く読んだ歌人、岡井隆氏のエッセイ「文字愛について」(『図書』2008年9月号)には、氏は自分は活字も好きだが、「文字愛」という傾向があって、手書きの字に執着する、と書いている。即ち、カリグラフィーごのみがあるのだ、と。その自己流の書体に、父や母の字の痕跡を無意識に見出しながら書いている、と往年の両親を回想しつつ、自己分析している。手書きにこだわるのは、こういう理由もあるのか、と私は新鮮だった。氏は「今、この原稿も、わたしは水性ボールペン(万年筆型)で手書きで書いている」(筆者と同じです!)が、「一番好きな筆記具は、鉛筆である」そして「毎日書く新聞のコラムは、三菱ハイユニの2Bまたは3Bを使って消しゴムをかたわらに用意しつつ書くのである」と結んでいる。後述するように、手書きにこだわる物書きの人で鉛筆を使っている人は想像以上に多いようだ。

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