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古書往来
51.木下夕爾と『春燈』の人たち

その後しばらくは氏の作品に接する機会がなかったが、今年初め、神戸、元町の「カフェ・コリノズ」で書友、小野原氏出品の「百窓文庫」をのぞいたら、『わが詩 わが旅 ─ 木下夕爾エッセイ集』(昭60、福山市、内外印刷出版部)を見つけ、これは珍しい本ではと思い、喜んで買って帰った。函の地もグレイで背だけにタイトル文字が付き、表紙も白地に、中山一郎という画家のスミ一色の象徴的な装画をのせた清潔感のある装丁である。

「わが詩 わが旅」表紙
「わが詩 わが旅」表紙

本書は、編者の高田英之助氏の後記によると、夕爾氏没後20周年記念に出版したもので、前述の本の方は10周忌に出されたものという。これには、新聞雑誌掲載文や遺稿から選んで34篇のエッセイが収録されている。その中でもっとも多いのが『春燈』掲載のものとのこと。
巻頭には、『春燈』の木下夕爾追悼号に載った堀口大学の短文「一びんの紫インク」が再録されている。氏は「木下夕爾とは面識なしに終ってしまった。」と書き出し、文通も年賀状の交換程度だったが、「たった一度、終戦の翌年、僕が妙高山下に疎開していた当時、一びんの香料入りの紫インクを、福山在住の君から贈られ、びっくりしたことがあった」と記す。それで、長いこと夕爾氏が文房具店の主人と思っていたが、もの知りの岩佐東一郎氏から薬屋の主人だと教えられた、と書いている。そうして、どうしてあの時、インクを贈ってくれたのかはついに分らずじまいだが、といろいろと想像をめぐらせている。薬品の調合はお手のものの、夕爾氏らしい贈り物ではないか。

本文は、詩についてのエッセイを集めた「I ながれの歌」、「II 俳句雑話」「III わが詩わが旅」の三部に分かれている。所々にかなりのスペースをとって、氏の写真や詩集・関係雑誌の書影も載っていて、楽しく読める。各々が起承転結に工夫を凝らした味のある文章だが、中でも井伏鱒二についての二篇や「書物を愛するの記」「盗作について」などが面白い。例えば、「書物を……」では、最近贈ってもらった友人の詩集が未裁断の袋とじなのを見て、戦前の詩歌書にはそれが多かったことを懐かしく思い出す。そして、それら粋をこらした装幀の書物をいろいろ挙げている。佐藤春夫の小説集『みよ子』は高雅な黄色の布装で「オランダの何とか地方に限ってはえる黄色い草花を食べた牛の尿を精製して染めたものだそうであった。」続けて「けれど三円幾らで(約四百倍すると今の値段に近い)、貧書生の私には手が出なかった」と記す。(これは昭和33年に書かれている。)他にも貧乏で買えなかった「台湾産白蛇の皮で装幀したポオの『大鴉』羊の皮装のジイドの『狭き門』」などが幻のように浮んでくるという。こうして見ると、夕爾氏もなかなかの愛書家であったことが伺える。

相当な古書好きであったことは「福山雑記(2)」に出てくる記述でもよく分る。戦時中のこと、空襲前の福山のある古本屋に、歌人中村憲吉の短冊が出ていてほしかったが、交換条件があってあきらめ、『雲母』のバックナンバー30冊ばかりを重たいのに買って帰ったときのことを書いている。そこに「その頃私の第一の趣味は、詩歌の古書を買い漁ることであった。(尤もせいぜい明治以降のものばかりだが)私は近視で視力の乏しいくせに、勘がはたらくというのか、書架の中から目ざとくそれらを見つける能力が人並すぐれていた。同好の友人など、いつも先を越されるので、もう決してお前と一しょに古本屋へ行かないとなげいたくらいである。」と珍しく自慢話をしている。私はここで、立原道造の古本漁りでの達人ぶりを思い出した。ところが前述の追悼集の信来民夫氏の一文によると、100部刊行の処女詩集『田舎の食卓』は信来氏がほしかったので尋ねたところ著者自身もう一冊も持っていなかったそうで、皮肉なものである。

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