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古書往来
45.新田潤と青春の仲間たち ─ 高見順の恋愛とともに ─

最後に書下ろしで収録されたのが「青春 高見順と女たち」で、さすがに長年、親友としてつきあってきた新田だけに、身近で見てきた高見の若き日の恋愛遍歴をつぶさに生き生きと描いている。高見はずば抜けて背が高かったが、惚れっぽい男で、まず大学二年の時、赤門近くにあったカフェ「タムラ」の妖艶な美人女給に熱をあげる。彼はそれを仲間にも宣言して大っぴらにつきあうといったタイプだった。つきあい出してから、ライバルである自称画家の男と彼女が店で親しくひそひそと話しているのを、居合わせた仲間と座っていた高見がじーと見ているうちに、「ふいに思いもかけないことが起こった。私たちばかりでなく、そこに居合わした者はみんなびっくりして一瞬呆気にとられたくらい、その声はなんとも異様であった。ワーッと声をかぎりに子どもの爆発したみたいに、高見が泣きだしたのである。大きな男がそっくり返り、天井に向けた眼に腕をやり、声をかぎりに泣き声をあげるのである。」まるで駄々っ子のようである。後年、よく周囲の者に突然怒り散らすことがあったという誰かの証言とも思い合わせると、どうも高見には自己愛的な性格の一面があったように思える。むろん、晩年、がんと闘病しながら日本近代文学館創設に貢献し、初代理事長に就任するなど、りっぱな業績が多い人なのだが……。
次に惚れたのがカフェ「エトワール」の不良じみた少女で、その次は同じ「エトワール」のお面のような顔をした少女だったが、いずれの恋もあっけなく終りを告げる。

しかし、次の石田愛子との恋愛は、高見の運命を左右するようなものだった。高見は昭和3年、大学二年目に、文化学院生の男女を中心にプチブル的な劇団「制作座」を結成し、彼が演出を担当し、新田もひやかし半分で参加し、その頃としては珍しい男女交際も楽しんでいた。その新顔の一人として入ってきた中に彼女がいたのだ。「背丈はそのころの女性としてはきわだって高いほうで、少しばかり間ののびた大きなぱっちりした眼と、唇のあたりになにかあどけなさそうな微笑をたたえ……」、「短いスカート、いまでいうミニ・スカートからのぞいた膝坊子が、いやに私の眼についたことなど憶えている。」と新田は彼女の容姿を描いている。たちまち彼女に熱をあげた高見は、彼女が望むというので演技指導をことさら彼女一人だけに厳しく当ったり、第二回公演の主役に彼女を抜擢したりする。(主役の男性は、法政大の学生だった十朱久雄 ─ 十朱幸代のお父さん!)新田は高見からしつこく頼まれて二人のデートにも同行させられている。二人は愛しあうようになるが、クリスマスイブに彼女の別荘でパーティをやることになる。ところが、卒業論文の提出の〆切が迫っている頃で、高見は泊ってしまうと卒論も間に合わなくなると困っていたが、帰る段になると、彼女は激しく高見にしがみついて「いや、帰らないで!」と泣き声を出したため、弱りきったがとうとう泊ってしまったというエピソードも出てくる。高見は卒業も待たず、昭和5年、23歳で石田愛子と結婚した。実はこの短篇の冒頭に出てくる印象深いエピソードとして、その愛子さんが昭和38年、悲惨な病気で亡くなったことを一年後に高見が病床で知ったことが彼の「日記」に出てくる。その短い記述を引用した新田は「二人のことを知る者には、深くしみわたるものがある文章だと思う。」と記している。周知のようにこの石田愛子さんとは、結婚後、切ない別れ方をしたからだ。高見は昭和8年、左翼運動中に検挙され、大森署に三ヶ月拘留されたが、その間に愛子さんは酒場勤めをして、他の妻子もちの男と親しくなり、高見が釈放されて間もなく、その男のもとへ出奔している。多情な女性だったようだ。高見はこの間のいきさつや未練の心情をくり返し、いろんな短篇で描いている。『日歴』創刊号に載せた「感傷」もその一つである。

「制作座」集合写真(後列1人目、高見順、2人目、新田潤、3人目、石田愛子)
「制作座」集合写真
(後列1人目、高見順、2人目、新田潤、3人目、石田愛子)

実は本書の口絵頁に、昭和3年にとられた「制作座」同人の集合写真が頁半分で載っていて、帽子をかぶりさっそうとした高見や新田、神山、十朱らに混って、あの石田愛子も、すっくと立ってにこやかにほほえんでいるのが写っていた! 一目見て、愛らしい、スタイルもいい、高見が惚れこんだのもムリはない女性の姿であった。前述の新田の描写通りである。古本をひもとく楽しみは、こんな一寸した発見に時々出会うことだ。

最後になるが、私は『日歴』73号(昭53、11月)新田潤追悼号を、津田京一郎氏の協力を得て手に入れたが、これを読むと、新田は気まじめすぎる『日歴』同人たちの中で、屈託ない、朗らかな性格で、話し上手でもあり、口角泡をとばし、豊富な話題で皆を引きつけアッハッハと高笑いし、座を賑やかにする人だった、といろんな同人が回想している。写真を見ても、そんな人柄が伝わってくるようだ。座談の巧さという点では高見も同様だったという。

これからもボチボチ新田の作品を探して読んでゆきたいものである。

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