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古書往来
42.豊田三郎と紀伊国屋出版部
─ 片山総子(宗瑛)への恋とともに ─

今回もマイナーな作家たちに登場願おう。
私は旧著『古本が古本を呼ぶ』の中で、昭和11年頃から二年間程、短い出版活動を行い、中でも福田清人や豊田三郎、荒木巍、永松定の創作集を「青年作家叢書」として続けて出した協和書院という小出版社のことを、その数年後、福田清人が『憧憬』(1942年、富士書店)という小説で一寸描いているのをもとに紹介したことがある。それで、その後もこの叢書のことは気になっていて、荒木の『渦の中』は函欠の本をやっと入手、豊田の『新しき軌道』(昭11年)はたしか昨年、本町の堺天牛書店で専門店の半分位の値段で函付が出ていたので、私にはそれでも高かったが、思い切って買っておいたのだ。表紙は布装のなかなか風格のある造本である。

「新しき軌道」函と表紙
「新しき軌道」函と本体

それでひとまず安心したのか、私の悪いクセで積ん読のまま大部床に眠っていたのだが、最近ヒマを見つけ、その一部を読んでみた。これは第一創作集『弔花』(昭10、紀伊国屋出版部)に続く豊田の第二作品集で、中小篇が九篇収録されている。最初の「新しき軌道」が73頁の中篇で、自伝的な作品であり、以下に紹介するようにいろんな意味で読みごたえがあった。この小説と、以前これも目録から手に入れた新宿歴史博物館編の興味深い図録『田辺茂一と新宿文化の担い手たち』(平成7年)にある伝記的事実をも参照しつつ、ごく簡単にあらすじを紹介してゆこう。


主人公、鳥羽(豊田と思われる)は静岡高校を出て東大独文科に入学するが、偶然見つけて入居した下宿の娘 ─ 二十歳で、保険会社に勤める ─ 雪江に恋するようになる。鳥羽は中学時代、父を失い、以来、父の縁故で世界的な癌研究者、高柳(仮名?)博士の学資援助を受けていた。雪江と深くつきあったものの、結婚となると踏み切れず、最後は別れようと一ヶ月九州旅行に出かけて帰った翌年秋、雪江が芸者となったのを知る。鳥羽はもう一度、芝の「松の家」にいる雪江に会いに行き、二人共涙して別れの辛さを味わう。
その頃の文科の学生は思想の混乱と生活苦で生気がなかった。鳥羽も昭和5年、大学を卒業したが、不景気のため就職口がなく、たまたま卒業の送別会を級友10人程と催したドイツ人経営のフレーデルハウスでの会で、傍にいた紳士と知り合う。それが有名な虎屋の主人で、鳥羽に好意を示し、そこの広告部に翌日から勤めることになる。だが、事務能力のない鳥羽は三ヵ月程でお払い箱となった。「鳥羽は腹をきめて、雑文で食ふことにし、廿枚ばかり書いて某雑誌社に持つて行つた。これは半月程して、編輯長に丁寧に誤字を直された上突き戻された。」とある。そんな折に、虎屋主人の紹介で、鳥羽は『赤い鳥』主宰の鈴木三重吉に会い、記者として採用される。三重吉は雑誌の色をすべて彼自身の傾向で染めていたが、鳥羽はそこに新しい空気を容れようと勝手に若い作家に原稿を注文したりしたので、一ヵ月でここも追放されることとなる。(これもあまり知られざるエピソードではなかろうか。ちなみに『赤い鳥』には若き日の小島政二郎が創刊から一年程、編輯を手伝っていたが、やはり超多忙と三重吉のいじめ(?)に遭い、一年位でやめている。その後に早稲田大出の小野浩が入ったという(小島による三重吉の伝記的小説「颱風の目のやうな」<『小説新潮』昭29、11月号>による)。失業した彼は東京から15km程離れた義兄の家に身を寄せた。

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