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古書往来
38.モダニズムの画家、六條篤と、詩人、井上多喜三郎

前回に続いて、わがお得意の(?)知られざる画家の話から始めよう。
過日の大阪古書会館での古本展で、収穫本の支払いをすませ、帰ろうとした時、出口脇のコーナー平台に、黄色の表紙に文字だけの薄い図録、『モダニズムの画家 ─ 六條篤展』(昭和58年、奈良県立美術館)があるのが目に止った。オットット、<モダニズム>の文字にめっぽう弱い私は、中身も見ず、すぐ拾い上げて再びレジへ戻った。300円也!

「岬」1936年(奈良県立美術館蔵)
「岬」1936年
(奈良県立美術館蔵)

帰って、しばらくは積ん読にしていたのだが、ある日、仕事の帰りの電車の中でゆっくり眺め始めた。まず、巻頭に置かれた代表作「岬」(1936年)のカラー図版に早くも引きこまれる。岬の風景を描いているが、リアルな写生とも違い、岬の突堤や手前にも実物より大の貝が置かれていたりする、明るく幻想的な、何となく詩情をも感じさせる画面である。一言でいえば、シュールリアリズム的画風だ。

あとの図版は残念ながら、すべて白黒である。初期の裸婦や青年像、荒いタッチの風景画も面白いが、中ほどの第2回独立展出品の「海と生花」あたりからぐっと幻想味が増し、「らんぷの中の家族」「石膏トルソと燭台」「虹を夢見る蝸牛」「らんぷのまわり」「不二と骰子」「海岸」など、シュールな絵が多くなる。画面のどこかに蝶や貝殻が描き込まれているものも多く、私はすぐ、三岸好太郎の画との共通性も感じた(※1)。実際に「貝殻」という作品も一つ載っているし、年譜を見ると、昭和12年には「貝殻(一)(二)」「貝殻(A)(B)」「貝殻と裸婦」も出品している。これは面白い図録を手に入れたものだ、と私は喜んだ。


※1 調べてみると、三岸も六條と同じ独立美術協会に属していることが分った!六條は東京での展覧会で先輩画家、三岸の絵は当然見ていたにちがいない。いや、年譜によると、六條は昭和6年〜9年頃まで、独立展出品準備のため、毎年上京しているので、その折に交流があった可能性もある。ともかく、なんらかの影響関係があったように思う。


さて、私は、六條篤とはどんな画家なのかと、ますます興味を抱き、同館学芸員、平岡照啓氏が書いた「六條篤とその芸術」を読んだ。これと巻末年譜に拠って、六條の生涯と仕事を簡単に紹介しておこう。

六條は奈良時代までさかのぼれるという奈良、多武峯寺に由緒をもつ名家で、明治40年、篤氏は長男として出生。地元の小学校卒業後、大正9年、大阪市立東商業学校に入学する。その頃から文学少年で、絵の会、林檎会を作ると同時に、俳句、短歌も作る。大正14年(19歳)、天理外語大支那語部第二部に入学。昭和2年、大学の海外視察旅行に参加し、中国各地を訪問する。昭和3年、22歳の折、小出楢重、鍋井克之、黒田重太郎らが開いた大阪、信濃橋洋画研究所に友人と入り、デッサン・水彩画に打ち込む。翌年、父が亡くなり、跡を継いで多武峯郵便局長となる。

昭和4年、二科の林武が六條家にしばらく滞在し、フォービズムの傾向を示す氏と熱い議論を交す。翌年、上京して林氏宅に三ヶ月半程滞在し、絵画制作に励む。早くから短歌もものし、『カラスキ』『短歌建設』や『短歌創造』に短歌、随筆、評論を発表。昭和6年から、独立美術協会展に毎年(6回まで)出品する。平岡氏は彼の作品を「その色彩は明るく、そこには、エロシチズムとリリシズム、それに清新、奇智、明朗、ユーモアなどが織り込まれている」と評している。また、彼の独自のシュールリアリズム観を示すものとして次の文を引いている。(『短歌創造』「季節の手」)
「空中での接吻しているシャガールの描く人物を、それが空中にあるといふ理由に依って非現実とはいえない。現実的であるとは単に形丈が地上に立っているからではない。空中にあり乍ら、而も人間の重さをもち、弾力をもち、空気に抵抗する力を持っている人間の方がより現実的である。」と。そして「彼のポエジイに基づく新精神は、彼の詩歌と絵画作品を不可分としている。」とも平岡氏は書いている。奈良という伝統ある土地から、世界に開かれた前衛的な画家が生まれたことも面白い。

昭和8年には、歌集『左手の漂影』(林武装幀、短歌と方法社)を出版。この年、古賀春江死去。翌年には三岸も31歳の若さで急逝している。昭和9年(28歳)、詩集『六條篤詩選集』(東華書院)─ 詩歌誌『自由律』特集号 ─ 出版。その後も大阪や奈良美術協会展などに毎年出品して活躍するが、昭和19年12月25日、38歳の若さで病没する。愛児に「病がなおったら海を見に連れていってやろう」と約束していたが、果せなかった。その日に召集令状が届けられた、という。(このことは、何とも複雑な想いに駆られる。)

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