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古書往来
37.大阪朝日会館長、十河巌の本と、前田藤四郎展と

まず、山本安英主演の超ロングラン「夕鶴」は、朝日会館で初演の幕をあけたと記している。そして安英さんの芸熱心を讃え、「鶴の化身の「つう」が自分の体の羽毛を抜いて、千羽鶴を織っていくように、安英さんが公演する一回ごとに魂をうちこんでだんだん痩せ細っていくように思われてならない。」と心配している。
笠置シズ子は、昭和10年の夏、大阪松竹歌劇団がストライキを始め、約100名の少女争議団員が高野山で籠城した折、当時、朝日の社会部記者だった十河氏も取材で起居を共にした、その中にいた。争議が解決したとき、笠置さんから相談を受け、「声があまりきれいでないなら、ジャズを勉強したら」とアドバイスした。その後、郷里の徳島で声楽を勉強し、昭和15年、帝劇に松竹歌劇団が生まれた際、選ばれて大阪から参加し、服部良一に見出され、あの大ヒット作「東京ブギウギ」を提供され歌いまくったという。そんな来歴があったとは知らなかった。

十河氏が会館の経営を引き受けてまもない昭和21年秋、80名位の従業員が組合をつくり、ストライキでもやりかねない雲行きになった。そこで氏は、とっさに一計を案じ、「今夜玄関のパーラーで、懇親ダンスパーティを催すから、全員参加されたし」と書いたポスターを貼り出したところ、殆んど全員が参加した。
そのうち、会場が花やいできたので見わたすと、翌日から公演する俳優座の人たちが仲間に入って踊っていた。中でも、ステキな女子従業員を相手に笑い興じながら踊っているのが、意外にも東野栄治郎だった。(あの、いかつい顔の東野氏が軽快にステップを踏んでいる様を想像すると、いささかおかしい!)「全員すっかりいい気持になって遅くまで踊りつづけ、とても気持が溶けあい、仲よくなってしまった。」これでストライキも回避でき、東野氏には今も感謝しているという。それにしても、いかにも戦後の出来事らしい、人情味あふれる顛末である。

民芸の渋い俳優、加藤嘉(松本清張原作、映画「砂の器」の、主人公と放浪する祖父役が思い出される)にも、こんなエピソードがある。
民芸の公演の最中、会館の清掃係のおばさんがあわてて事務所にかけつけ、「今、楽屋で加藤先生が肌着のほころびを自分でつづっている、私が代って縫ってあげてもいいか」と訴えた。おばさんは劇団の手の足りない時、小道具を並べたり、けっこう裏方の代理もつとまる人で、これも母性愛に駆られての様子だった、と語る。
同じく民芸の清水将夫とは、絵を描くのがどちらも好きなので仲よくなり、公演中に、朝の9時から会館前で落ちあい、二人で天王寺までタクシーを飛ばし、市内を写生しながら、朝日ビルの前まで歩いて帰ったという。
私も大学生時代、よっぽどヒマだったのか、上六の大阪外大から梅田まで、友人とブラブラ歩いて帰った経験はあるが、それにしても二人共、健脚でありますなぁ。

小磯良平とは、氏が記者時代、太平洋戦争の初期、昭和17年にジャワに文化宣伝中隊の一員として行った折、続いて小磯も絵を描きにやって来て出会った。戦後、会館で「ラプソディ・イン・ブルー」と新世界交響曲をバレエ化することになり、「新世界」の方の背景を小磯氏にお願いし、すばらしいものに仕上がったという話だ。

国際的にも評価の高い「具体」グループの中心画家、吉原治良も、昭和3年、朝日会館二階で個展を開いている。吉原氏は当時、二度目のパリ帰りの芦屋在の上山二郎(※1)から大きな影響を受け、60点程の魚の絵を出品し、その新鮮さは観客を驚かせた、と書いている。一方、吉原氏も、『わが心の自叙伝三』(昭44、のじぎく文庫)所収の一文で、氏が関西学院大在学中、絵の会で、竹中郁や前田藤四郎(後述)とも交友があったことを記し、大学卒業の月に朝日会館で初の個展を開いたと印している。上山氏とは在学中から足繁く交流し、上山氏を通じて藤田嗣治や東郷青児を紹介されたという。 吉原氏には(※2)、『デモス』の表紙やイラストもよく依頼した、ともある。会館の主催で、西宮球場(今はない)で毎夏、「たそがれコンサート」を催したが、「その大行灯式背景は全部彼のデザインに依っていた。」連載でも書いた彼のデザインになるモダンアートの緞帳は、海外でも評判になったという。

まだまだ紹介したいエピソードはあるが、切りがないのでこの辺で止めよう。

十河氏は奥付略歴によれば、明治37年生れ。著書は他に『ジャワ旋風』『ざら紙随筆』『宣伝の秘密』『名優雀右衛門』『女房おしかの一生』がある。(出版社不明)最後のは小説かもしれない。やはり、幅広い分野に一家言をもっていた人のようだ。朝日の記者時代、ゾルゲ事件の尾崎秀実とは同僚で、いろいろ懐かしい思い出がある由。その尾崎をモデルにした『オットーと呼ばれる日本人』のオットー役、滝沢修も登場し、その、大のカメラ好きぶりを披露している。


37_4.jpg(19195 byte)※1 私は残念ながら展覧会は見逃したが、1994年の芦屋美術博物館で開かれた『知られざる画家 上山二郎とその周辺』展の図録は入手し、愛蔵している。「テーブルの魚」にも大へん魅惑されるが、この中にある机上の文房具を描いた「静物」がいたく気に入り、私が編集した『原稿を依頼する人される人』(燃焼社)のカバー装画に使わせてもらった。全国の読者に、この画家のすばらしさを知ってもらいたいという願いをこめて・・・。

※2 吉原はまた、当時のロシア・アバンギャルド絵本の影響を受けたといわれる絵本『スイゾクカン』を1932年、創元社!から出版している。稀少本だが、中身を何とか見てみたいものだ。(かなわぬ夢か?)

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