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古書往来
3.大阪の百貨店(デパート)と出版文化
古本屋で見つけた『阪急美術』第八号を持っているが、執筆者に柳宗悦、浜田庄司が名を揃え、表紙は出雲手漉和紙を用い、鍋井克之が装釘するという雅趣に富んだ造りで ――

最近の新聞に大阪の松坂屋(天満橋他)が来年春には閉店されるという記事が出ていた。地理的にも不便なので、私はめったに出かけたことはないが、中にあるジュンク堂へは何度か足を運んだこともあり、残念だ。
これを見た時、私はすぐに、10月中旬に四天王寺古本祭りの折、たまたま手に入れた雑誌のことを連想した。

古い雑誌やパンフ類が雑然と積まれた束の中に、背が大分痛んだB5判の薄い『趣味道場』という、初めて見る雑誌を見つけたので、奥付を見ると、何とこれが創刊号(昭和12年3月号)で、編輯所が「大阪松坂屋内松坂倶楽部」となっている。
後記によると、七階八階に趣味と社交の殿堂「松坂倶楽部」を設置するとあり、そのPR誌として発刊したという。表紙は矢野橋村の風景画で、本文にも橋村の随筆が載っている。私がこれを買う気になったのは、中に荒木伊兵衛の「古本屋の古本礼賛」なる随筆が1頁だけだが載っていたからだ。

荒木伊兵衛といえば、昭和初期、心斎橋に同名の店を開いていた古本屋主人。
学究肌で、内田魯庵や幸田成友などにかわいがられ、愛書家向けの目録兼書物随筆を豊富に載せた『古本屋』(昭2〜4)十冊を出した、古書通には著名な人である。私は荒木の魯庵への追悼文は読んだが、荒木自身の随筆は珍しい。
その主旨は、著作の真価は新刊の折でなく、古本になって初めて決定されるもので、古本屋はいわばその試験官なのだという、古本屋としての誇りを感じさせる端正な文章である。この『趣味道場』はいつ頃まで出ていたのか、調べたいものである。

改めて考えてみると、大阪の百貨店と出版文化のつながりは意外と深いように思われる。まず、梅田阪急が、昭和12年から16年まで『阪急美術』を出し、その後も『汎究美術』、『美術・工芸』と誌名を変えながらも続き、戦後は『日本美術工芸』として息長く発行されていたが、惜しいことに平成九年、通算七百号で休刊になっている。
私は以前、古本屋で見つけた『阪急美術』第八号を持っているが、執筆者に柳宗悦、浜田庄司が名を揃え、表紙は出雲手漉和紙を用い、鍋井克之が装釘するという雅趣に富んだ造りである。

さらにあまり知られていないのが、戦後の一時期活動していた、大丸出版社と高島屋出版部の存在であろう。
橋爪節也氏の一文によれば、大丸出版社は昭和23年、画家の沢野井信夫が中心となって創設され、まず里見勝蔵の『画魂』『セザンヌ』を刊行。(沢野井は後に創元社から『子どもの絵と美術』を刊行した人。)他に、伊藤廉『球面』、沢木四方吉『ギリシア美術』(昭23)、阿部知二『月光物語』(昭24)などを出している。

高島屋出版部からは小説が多く、芹沢光治良『眞実記』(昭22)、徳永直『がま』『追憶』(昭23)、船山馨『忘却の河』(昭23)、大下宇陀児『宇宙線の情熱』(昭24)、阿部知二『わかもの』などが出ている。同社の美術部の人脈からか、小磯良平、宮本三郎といった一流の画家が表紙を飾っている。

当時の経営者や幹部に文芸好き、出版好きの人がいたのだろうか。
いずれにせよ、今は不況のせいか、大阪の出版文化に寄与しようとする百貨店も見当らず、さびしい限りである。


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