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古書往来
27.竹中郁と神戸・海港詩人倶楽部

「評伝 竹中郁」表紙
「評伝 竹中郁」表紙

昨年、神戸の市立中央図書館に出かけた際、神戸出身の作家のコーナーで足立巻一『評伝 竹中郁』(理論社、昭和61年)を見つけ、その折は一寸のぞいただけだが、これはぜひ古本で手に入れ、通読したいと思った。

足立氏の最後の著作である。氏は後半生を竹中氏とともに児童詩誌「きりん」に深くかかわったので、その発行元の理論社から出たのだと思うが、少部数だったようで、あまり古本屋に出ない本らしい。

幸い、またしても古書好きの知人、前橋市の津田氏がインターネットで本書を探して下さり、北海道の古本屋で一冊だけ見つかったのを私に譲って下さった。本当に有難いことだ。

竹中郁については神戸が誇るべき卓越したモダニズム詩人なのに、今までその詩もあまり読んでいなかった。にもかかわらず、この評伝を読んだのは、私の前著『古本が古本を呼ぶ』で、竹中の自宅が発行所となった神戸・海港詩人倶楽部のことをお粗末な探索のまま、わずかに紹介したのが気になっていたからだ。おまけに、うっかり海港倶楽部と不正確な名称を書いている。

本書には足立氏の精緻な調査、取材に基づいてこの発行所の著作物や著者たちの履歴が簡潔に紹介されている箇所があり、自分の無知を大いに恥じるばかりだ。

むろん、その興味だけではなく、足立氏は竹中氏の終生の年下の友人であっただけに、その評伝の筆致には竹中氏を再評価するという使命感が熱くこもっており、読みごたえ充分であった。当初は千枚を越す予定で執筆していたらしい。

しかし最終章冒頭で「これが私の人生における最後の仕事となるであろう。・・・(略)・・・それまでこちらの寿命がもつかどうかはなはだ心もとない」と記しており、一瞬、胸を衝かれた。実際、400枚ぐらいで、竹中氏のフランス留学の跡を自身も旅してたどり直したあたりで筆は止まっている。

この評伝で、元々画家を志していた竹中が神戸ニ中の四年生の頃(大正九年)、世紀末芸術の影響を受け、いつも赤マントを着て元町通りを歩いていた神戸の奇人画家、今井朝路の文化サロンに出入りしたこと、昭和2年、関西学院大文学部を卒業した竹中が、生涯尊敬した北原白秋を頼って上京し、白秋主宰の「近代風景」(アルス刊)の編集手伝いを半年程やり、その間に芥川や堀辰雄、春山行夫、近藤東らと出会い交流したことなど、初めて知ったことは数多い。

さて、神戸海港詩人倶楽部のことだが、竹中20歳、関西学院大一年生の折、2歳年上の新進詩人福原清と出会い、意気投合し、二人で詩の同人誌「羅針」を大正13年12月に創刊したのが始まりで、神戸市西須磨の竹中方がその発行所となる。自宅の入口に活字体の表札を掲げた。

その後、ここから「羅針」13号まで、「射手」「豹」「骸子」(各1号のみ)、第二次「羅針」を10号(昭和10年)まで出している。

単行本詩集としては竹中が関学大4年、22歳の折(大正15年)、処女詩集『黄蜂(くまばち)と花粉』を自費出版で150部限定函入で初めて出版。養父にねだって百円出してもらった。これはわずか20部しか売れなかったと足立氏はいう。

「本の手帳」1961、10月号表紙
「本の手帳」
1961、10月号表紙

竹中自身は「三十五年前」という処女詩集の想い出を語ったエッセイ(「本の手帖」1961、10月号)で、わずかに四人ばかりの人が買ってくれたと書いている。

ただ、当初タイトルは「海にひらく窓」「海の日曜日」を考えていた由で、こちらの方がまだしも売行きがよかったかもしれないと思う。

現在では文学史に残るような著名な詩人も無名時代、自費出版で出した詩集の売行きは大体こんなものだ。

ちなみに草野心平の処女詩集『第百階級』もたった3部しか注文がなかった、と回想している(前述誌)。

その後、「羅針」同人の詩集を大正15年中に次々と自費出版で出してゆく。

まずフランスに留学中のチェリスト、一柳信二の『樹木』(限定百部)。パリから送られた原稿を竹中がひとり編集造本した。竹中は一柳を一入親愛し、後に『風琴』(大正15)『軽気球』(昭和5)も出している。(現代の作曲家・ピアニスト、一柳慧は信二のひとり息子)

「ボヘミヤ歌」表紙
「ボヘミヤ歌」表紙

山村順第二詩集『おそはる』(限定百部)、橋本実俊第二詩集『街頭の春』、さらに福原清第三詩集『ボヘミヤ歌』(150部限定)この題僉は竹中郁、装画はこれも生涯の親友、小磯良平。これらの詳しい内容や著者については本書を参照してもらいたい。昭和3年には、竹中の『枝の祝日』も小磯の装画で出している。

なお、なぜか本書には書かれてないが、亀山勝『青葦』も昭和6年に出している。

これらは、現在、古書価がいずれも大へん高く、私などとても手に入れることができない。どこか神戸の古本屋の片隅に、安い値段のものが転がっていないかしらん、と夢想するばかりだ。

私は偶然にも、前後して竹中の生涯の詩友、福原清の没後出た私家版『福原清詩集』(昭和54)を上六、天地書房の均一台で見つけた。ここにも足立氏が巻末に懇切な解説を書いている。本来なら竹中が書くべきところ、福原の死後、一ヵ月後に竹中も急逝したため、代わって書いたという。お三人の縁の深さをつくづく想った。

(追記)その後、私は書物同人誌「SUMUS」の本の情報欄に、神戸の詩人、安水稔和氏が発行している詩同人誌「火曜日」75号(2003年7月)に、平成15年、神戸で開かれた安水氏の講演と、杉山平一氏との対談記録が載っているとの記事が目に止ったので、発行所に直接問い合わせて送ってもらった。

安水氏の講演題目は「神戸の詩人さん 竹中郁」であり、杉山氏との対談は王子市民ギャラリーで開かれた「竹中郁と仲間の詩人たち展」でのもの。堀辰雄を始め、竹中と親しかった十八人位の文学者たちをとりあげ、各々の思い出を語り合った興味深いものである。

その中に前述の一柳信二氏もとりあげられ、安水氏が今回の展示のため、竹中家へ本を見せてもらいに伺った際、一柳氏の『緑の画集』という小説があったので、びっくりしたという。竹中氏が亡くなられた後で竹中家に届けられたらしい。

私も初めて知ったのでぜひ手に入れたくなり、図書館に問い合わせて調べてもらったところ、そのタイトルではなく、『緑の合掌』(樹芸書房、昭和60年)なら出ているという。対談のテープ起しの際、聞き間違ったのだろう。

これも不思議な縁だが、この出版社の社長さんは元、河出書房出身の方で、私の最初の自費出版の折、問合せて一寸相談に乗ってもらい(結局そこでは出版できなかったが)、以来、毎年、賀状を下さっている人なのだ。Faxで早速注文したところ、丁重なお手紙を添えて、その本を贈呈して下さった。御好意にふたたび感謝!

この本は、横浜で貿易業を営むリベラルなインテリ一家の父娘を中心に、太平洋戦争下の人々の苦悩や心のきしみを描いた長編小説で、出版時好評を博し、お手紙によればTVドラマ化の寸前までいったそうだ。信二氏の息子、一柳慧氏の前妻が小野ヨーコさんだったともあり、ホーッ、そうだったのか、とまたも驚いた。

それにしても音楽家で詩人だった人がこんな良質の小説も書いていたとは、一芸に秀でた人はマルチな才能をもつものだと感心した。

「緑の合掌」表紙
「緑の合掌」表紙

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