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古書往来
14.高知、タンポポ書店主の本を読む

高知の南はりまや町にある古本屋の店主、片岡千歳さんが七年前に出した詩集『きょうは美術館へ』に続いて、エッセイ集『古本屋タンポポのあけくれ』を同書店から出版された。

最近届いた自家目録「タンポポ便り」の掲載本の最後に本書も載っていたので注文したところ、思いがけなく献呈していただいたのだ。感謝!

私とはいささかのご縁があり、以前私の編集した『古本屋の自画像』の巻頭に彼女のエッセイを収録させてもらって以来、たまにFaxや電話での交流が続いている。私より一回り位歳上の元気な方らしい。

「古本屋たんぽぽのあけくれ」表紙
「古本屋たんぽぽのあけくれ」表紙

私が執筆した朝日の小コラム「私空間」に「詩人古本屋」なるタイトルで一寸紹介して喜んでもらったこともある。残念ながらお店には一度も伺ったことはない。

本書のカバーは親しい間柄である出久根達郎氏の題字を用い、お客の画家、西森氏が描いたお店の水彩画を配した瀟洒(しょうしゃ)なもので、奥付上にはご主人で詩人だった故片岡幹雄氏筆による店の文字も小さく掲げてある。詩人の片岡文雄氏は兄に当る。幹雄氏はいずれ出版もやりたかったそうで、せめてもの記念だという。

この本は、お店の歩み、古本や目録のこと、お客さんとの交流などが柔らかで平易な文章で綴られた楽しい読み物になっている。お店の歩みを本書から簡単に紹介しよう。

千歳さんは山形で育ち、若き日は神戸で働いていた。どちらも詩を書いていた二人が結婚し、幹雄氏が様々な仕事を遍歴した末に、昭和38年、幹雄氏27歳の折、自分達の蔵書をもとにズブの素人として開業した。以来、40年、店舗は三回移転。店の名前は二人で考えた末、W・ボルヒェルトの詩句から採った。

家賃を稼ぐため、幹雄氏は長距離トラックの運転手という二足のわらじを十年余り履いていたという。

最初、東京、中村書店のような詩集専門店を目指すも、詩集は売れないので、専門は設けず、だんだん高知ゆかりの本を中心に蒐めるようになった。昭和53年から高知西武の古本展にも参加し始め、これは20回以上も続き、近年は大阪の杉本梁江堂、彦書房の三店に定着した。

平成4年、幹雄氏が亡くなり、三人の子供達も別の道に進み、千歳さんが一人で店を切り盛りしている。

巻頭には店の前に立つありし日の幹雄氏の写真、半ばに彼女が店のレジに座っている写真が載っている。後者を見ると、本文にもあるように、店は六坪ほどで本があふれ、本の山でトイレのドアも開きにくい様が伺われる。

「天井画廊」と題するエッセイによれば、画家の坂田氏からもらった大きなエッチングのカレンダーや彼女の詩の先生、杉山平一氏の詩が印刷された東京消防庁のポスターなどがスペースがないため天井に貼られている。

接客にも一寸した創意工夫を凝らす彼女は、毎年のバレンタインデーに本を買った男のお客にウィスキーボンボンをニ、三個、本と一緒に手渡すそうだ。これは一例だが、本書にはお客との「ちょっといい話」がいっぱい披露されていて、ほっこりと心がなごむ。

初めての若い女性が寺山修司の本を探しに来たが見つけられなかった。ニ、三日後に店に持ち込まれた本の中に寺山の本を一冊見つけ、電話番号を聞いておけばよかったと思ったまさにそのとき、件の女性が「寺山の本を見つけたわ」ともう一冊の本をカウンターにさし出した。タイトル通り「神様のシナリオ」によるタイミングだった、と書いている。

また客が古本を選ぶだけでなく、「古本が客を選ぶ」という発想も面白い。

高校教師を定年退職したS先生とはいつも店でおしゃべりしていたが、ある日、運送業の人が本を見てくれという。彼女は車庫に積み上げた本の山を見て、「これはS先生の本じゃないですか!」と、あっと声をあげた。S氏が以前店で買って行った本が三冊も本の束の中にあったからだ。

実は彼は亡くなり、遺族が東京へ引越すことになり、奥様が別の古本屋に電話しようという直前だったという。S先生の魂のこもった本たちがタンポポ書店を選んだのだ!

人生の後半をいつも前向きに明るく過ごされている千歳さんだが、残念ながら店のほうは六月末で閉められ、目録の方で商売を続けられるという。これからも元気で頑張っていただきたいと願っている。

「きょうは美術館へ」表紙 表紙タイトル部分拡大
「きょうは美術館へ」表紙 表紙タイトル部分拡大

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