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古書往来
12.小坂多喜子と「人物評論」の編集者と

私は自分が育った神戸の文芸史関係の本は目に付く度にできるだけ蒐めることにしている。

小坂多喜子『私の神戸わたしの青春』(昭和61、三信図書)もその一冊で、以前手に入れて一部は読んだのだが、いつのまにか手離してしまった。

最近、奈良のキトラ文庫の目録で見つけたので、じっくり読みたくなり、再度注文した。

これは(私の出逢った作家たち)という副題がなければ、単なる神戸育ちの無名女性の回想記と見なして見逃してしまうところだろう。この著者の名前も今ではごく少数の人しか知らないかもしれない。略歴を見ても、簡単に記し、49年間主婦生活を送り、現在、文芸同人誌に属している人、位しか分からない。

「わたしの神戸わたしの青春」表紙
「わたしの神戸わたしの青春」表紙

しかし、目次を見ると、「尾崎一雄と片岡鉄平」に始まり、「小林多喜二と私」「神近市子と私」「多喜二と麟太郎」という自伝的長編エッセイや、長谷川時雨、大谷藤子、壺井栄、中谷孝雄、尾崎一雄などの追悼記や回想記がズラリと並んでいて、すぐ読みたい気にさせられる。

その上、オビにも佐多稲子のすいせん文があり、その一部には「小坂多喜子さんのたどった道は、当時の若い人の先端を行くものであって、その愛と夢は、時代の風にさらされて傷む。小坂さんの文学への情熱が、その傷に堪えてこの書を書かせている」などとあって、一層食指をそそられる。

小坂さんは明治42年、岡山の中国山脈の山裾の旅館業の家に生まれたが、母は生後一年目に実家に戻り、父は蕩尽して長い放浪の末、帰って後、日清製粉に入社。神戸工場に転勤で一緒に神戸へ移ったが、父を激しく憎み、祖母と西灘で別居する。

神戸で四年間暮らし、その間パルモア女子英学院に通いつつ、勝田汽船のタイピストとして働く。(当時の女性の先端をゆく職業だった)

その折、小説の取材に来た同郷の片岡鉄平と知り合い、三度目に訪問した滞在中の梅田ホテルの部屋でいきなり片岡に接吻され気を失ったエピソードなど語っている。片岡の『生ける人形』には彼女をモデルにした女性が登場するという。

彼女は次第に反体制文化運動に足を踏み入れ、その過程で関西学院生の初恋の人に出会うが、昭和4年検挙され三宮署に一週間拘束される。

当時の情景描写の中に「そのころ阪急電車の神戸市内の発着所は、この上筒井にあって、市電を降りると、ななめ前に阪急電車の改札口があった」「関西学院大学は、そのころまだ上筒井の市電の停留所からまっすぐ歩いてゆける距離にあって、表門が市電の終点から見えていた」とあった。今では失われた風景の再現である。

前後して、竹中郁もこの大学に通っている。その頃、上筒井には古本屋が沢山あったらしい。

小坂さんはパルモア学院の修業式を終えると、その服装のまま家出、上京し神近市子の家を訪ねそのまま神近家の食客となる。

昭和5年、神近氏の紹介で戦旗社に入社し、数ヵ月、二人だけの出版部に勤め、プロレタリア文学の記念碑的作品、徳永直『太陽のない街』と小林多喜二『蟹工船』の出版に立ち会った。虐殺された多喜二の死体にもいち早く対面している。

同社の雑誌「戦旗」編集部にいた上野壮夫と昭和5年7月結婚。以後、住居を転々と変える苦難の生活が始まる。

初期は尾崎一雄のいわゆる「なめくじ横丁」、上落合で尾崎家の向いに住み、上野宅にはプロレタリア派の作家、向いはブルジョワ派の作家が多数出入りしたが、尾崎家とも親しく交流し、尾崎を終生、尊敬している。この辺が思想のみでは評価できない人間の面白さであろう。

ところで、私は次の箇所に出会って、あっと思った。

「蟹工船」表紙
「蟹工船」表紙

昭和8年頃、雑誌『人民文庫』の中心、武田麟太郎夫妻が茅場町会館の6階に住んでいたが、「『人民文庫』が発刊される直前まで、この茅場町会館のはずれのかなり広い部屋に、大宅壮一主幹の『人物評論』の編集室があって、夫上野壮夫がその編集を一人できり廻していたから、私も一緒に出勤して雑誌の封筒書きの手伝いなどしていた」とあったからだ。

前回、「人物評論」のことを紹介して、一週間もたってないので驚いた。

上野は「戦旗」が弾圧で廃刊後、この「人物評論」に移ったのだ。そして、早大の先輩でつきあいのある尾崎を訪ね、文藝春秋社に滞留していた原稿を取り戻して載せたのが「暢気眼鏡」であった!

上野は当時無名の外村繁も掘り出して連載ものを「人物評論」に載せたという。

もう紙数がないが、ともかく彼女の前半生は波乱に富んでおり、情熱的で感情の振幅も激しかった方のようだ。上野の転向を支えたのも彼女の存在が重かったと思われる。

本書に出てくる文学者や同人誌の見方についても、通説はこうだが、当時の自分が受けた印象や感じは微妙に違うと随所に率直に書いていて興味深い。当事者の生々しい経験の述懐だけに迫力がある。

なお、小坂さんは昭和53年に『女体』という小説集も永田書房から出している。探求書が又一冊ふえた。また、上野壮夫の生涯については、次女の堀江朋子さんが、すぐれた評伝『風の詩人』(朝日書林)を出している。合わせて一読をお勧めしたい。

※ 脱稿後、調べると、小林、徳永の本は両書とも昭和4年に出たことが分かった。従って小坂さんが昭和5年に戦旗社に入社したというのは、小坂さんの記憶違いかもしれない。


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