31.「アーティキュレーション」

区別をつけること
差異化すること
区切りを入れること
調音
明瞭な発声
関節
節目
分節化
接合部分
……

 さまざまな意味に用いられる言葉ではあるが、基本的に「はっきりと分ける」という意味である。この言葉が問題になるのは、例えば老人と若者を分けるのはどこか、正常と異常を分けるのはどこか、日本人とアメリカ人を分けるのはどこか、といった問題を考えるにあたって困難に直面した時である。
 細かく分けていくことができれば、それに越したことはない。問題はいつも、どこで分けるかという基準のあいまいさにある。何らかの基準で集団をアーティキュレートしていく時、究極的には個人に還元される。
 個人もまたアーティキュレートすることは可能である。筋肉と骨格などは割と簡単に分けられそうだが、腱などの接合部分はどこからが骨でどこからが筋肉か、実は難しい。脳も新皮質、旧皮質などと分けているが、解剖図を見ると分かるように明確な線があるわけではないので、区別するのは非常に難しい。心と体も然り、心身症などはどちらの病気か判然としない。そうやって考えていくと、分けるというのは、実は非常に難しくて、しかも大切な役割を果たしていることが分かる。世の中の問題の大部分は、このアーティキュレーションの問題であるといっても過言ではないくらいである。
 この問題をめぐってはいろいろ考えられるけれど、さしあたって一つだけ、思いつきを取り上げてみたい。それは花粉症のこの季節ならばこその思いつきで、要するにアレルギーは身体が自分と他者の区別をつけられなくなって、つまり分からなくなって起こっているというあの説明である。清潔すぎると自分の身体の中からバイ菌を探す……他者とみなして排斥しようとする。これがアレルギーの本態であるという。
 ならば適度に汚くする、自分の中に他者を取り込む、均一化しすぎないように適度に異物を取り込む、あえて分けない……これが世の中のあらゆる問題に対する処方箋になる……のではないか。ちょっと誇大妄想的になってきたなあ……春だしなあ……。