TOP > 創元社の本 > 書評一覧
mb25041m.jpg

四国遍路の近現代
森正人 著

  • 徳島新聞 06年2月3日
  • <上> 明治・大正・戦前
    快適・合理性を追求 宗教以外の多様な要素も

    厳しい寒の季節が終われば、やがてお遍路の出盛りを迎える。弘法大師ゆかりの霊場八十八ヵ所を巡る四国遍路について、文化地理学の立場から調査に取 り組んでいる気鋭の研究者、森正人・三重大助教授(30)が、近著『四国遍路の近現代 ─ 「モダン遍路」から「癒しの旅」まで』(創元社)の出版に合わせ、観光や交通の側面からみた遍路の変遷について報告してくれた。徳島県内の事例を中心に、 二回に分けて紹介する。

    二〇〇四年一月に鳴門教育大学で開催された「四国遍路シンポジウム」で、明治時代から現在のまでの四国遍路の状況を話させていただいた。今回出版し た『四国遍路の近現代』は、そのときの話の内容をまとめたものだ。近代化が幕開けした明治以降の時代の中で、四国遍路は新聞社のイベント、国内観光、戦争 や愛国心など、「巡礼」という宗教的な意味以外のさまざまな意味が与えられてきた。端的に言えば私が試みたのは、四国遍路を今までとは少し違った角度から 覗き込んで、四国がはぐくんできた多様で複雑な歴史を皆さんに提示することである。
    さて、四国に住んでいた人や巡礼者以外に、四国遍路や札所寺院の存在が広く知られるようになったのは、およそ百年前、一九〇八(明治四十一)年ではないだろうか。
    (中略)
    二〇年代に鉄道やバスなどの公共交通網が整備され、経済的な余裕もできると、日本人の国内観光が盛んになっていく。旅行雑誌『旅』に四国遍路が特集された のが二九年。ここでは、交通機関の利用、旅館への宿泊など、いかに快適に四国遍路をめぐるかということが積極的に紹介されていた。後に、こうした巡礼の仕 方は、当時はやりの合理的で都会風を意味する「モダン」という言葉にちなんで、「モダン遍路」と呼ばれたのだった。
    (中略)
    さらに三〇年代になるとヨーロッパから入ってきたハイキングが流行した。すると今度は四国遍路はハイキングとしてとらえられていった。
    (中略)
    このように、百年ほど前から四国遍路がたどった道筋は、単なる宗教的な巡礼ではなく、観光・ハイキングなど各時代のさまざまな社会的要素とかかわりを持ちながら展開してきたのである。

  • 戻る >>