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古書往来
35.天野隆一(大虹)と関西の詩人たち

最後は紙数も多くなったので他の文章は省略し、駆け足で「編集者半世紀」に移ろう。列挙すると、氏は大正12年1月、18〜19歳の折、詩誌「桐の花」を出し5号まで。次に短歌誌「麦笛」を同年12月に出し7号まで。前述の「青樹」を大正14年に出し、昭和12年55号で終刊したが、これは戦前の京都での最長詩誌である。昭和13年、池田遥邨、相沢等、下川千秋、黒田猛らの画家同人による総アート紙A5判24頁の「画人」を編集し、15年、7号で終刊。戦後、母校日吉ヶ丘高校美術科コースに就職し、PTA新聞を編集。美術科教師たちのカットを沢山挿入した異色の新聞だった。次に同校の教師らで文芸誌「DON」を創刊、37年12号で廃刊となる。最後に、コルボウ詩話会の元会員や京都の詩人が集まり、昭和36年6月「RAVINE」を創刊、とうとう100号を越して今に至っている、とあるが、その後も高齢で薬師川虹一氏他に編集をゆずるまで、118号位まで続けている。

「RAVINE」表紙
「RAVINE」表紙

「RAVINE」は現在も続いており(平成17年9月で155号。)表紙装画、カットは今も天野大虹氏のものだ。表紙ウラ、目次の前に「1961年故天野隆一はじめ10名により創刊」と表示があり、同人たちの感謝の念が伺える。河野仁昭氏は『戦後京都の詩人たち』(2000年、「すてっぷ」発行所)の中で、平成11年に93歳で亡くなった天野氏を悼み、「バランス感覚に富み、根気づよく、自己抑制にいささかも無理を感じさせなかった彼は、得がたい編集者であった。」と讃辞を送っている。たしかに天野氏がいなければ、これほど長くは続いていなかったにちがいない。「RAVINE」同人の証言によれば、天野氏は編集会議でも同人の作品に対する批判は一切されなかった、という。

何も出版社の編集者だけが編集者ではない。全国の文芸や詩歌の同人誌で、地味ながら毎号根気強く誌面造りに励んでいる編集者が沢山いるのだ。彼らにエールを送りたい。私は文童社のことを書いたご縁でか、いきさつははっきり覚えていないが、「RAVINE」を150号位から毎号贈呈していただいている(感謝!)。造本、内容ともとてもセンスのよい、読むのが楽しみな同人雑誌である。


最後に、天野氏の遺した詩集は、他に『青い旗』『雲の耳』『石人』『手摺のある石段』などがあり、『京都詩壇百年』(昭63、文童社)も貴重な労作である。これは文庫判で70頁位の小冊子だが、二段組で、「京都詩壇概説」と「年表 ─ 明治18年−昭和63年」から成り、本の情報が一杯つまっている。それに口絵には、詩人たちの珍しい集合写真や書影も多く載っていて楽しい本だ。

「京都詩壇概説」表紙
「京都詩壇概説」表紙

天野氏の代表的な詩作品は、比較的手に入りやすいものとして『京都の詩人』(教育図書、1989)に、他の三人の作品とともに代表作品が載っている。私は今年のOMDビルの古本展で見つけ手に入れた。


もう一冊見つけた、天野氏の詩友でもあった京都の詩人、児玉実用氏の第一詩集『さまよう星』(昭和29、創元社)についても紹介するつもりだったが、すでにあまりにも紙数を費しすぎたので、次の機会にゆずろうと思う。

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