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古書往来
32.荷風と神西清、大佛次郎の古本綺譚

過日、天五商店街にある青空文庫をのぞいた折、文庫本の棚に、神西清の『灰色の眼の女』(中公文庫、昭51)を見つけ、思わずにんまり笑みが浮んだ。それまで、あちこちの古本屋で探しても全く見つからなかった文庫だからだ。しかも、200円で!
私が神西作品のファンになり、その単行本も蒐めだしたのは割に最近のことである。(おそいぞ!)私の場合、古本屋で手に入れた古い文学雑誌に載っている短篇を何げなく読んで気に入り、それがきっかけで・・・というパターンが多い。

「灰色の眼の女」表紙
「灰色の眼の女」表紙

神西の場合も、確か『文藝春秋』(昭22、7月号)に載った「白樺のある風景」をそのエキゾチックなタイトルに引かれて読み、魅了されたのが最初だったように思う。

この小説は、戦前の中国を旅行中の主人公が日本の友人女性に宛てた手紙のスタイルで書かれており、滞在中の北京のホテル内にある、古今の北京や支那に関する洋書が書棚にぎっしり詰まったフランス堂で、偶然知り合った京都の東洋学者に誘われて、博士の旧友のロシア人がいる北京郊外のお寺にある図書館を訪ねに行く様子が鮮やかに描かれている。 他の神西作品にも共通する特色だが、国際色豊かで、何よりも文章にコクと深み、快いリズムがあり、語彙の豊富さにも圧倒される。本好きにも格好の題材だ。この短篇は前述の中公文庫にも収録されている。文庫本にも元版の単行本と同じ、三島由紀夫の解説が添えられていて、神西文学へのよき案内となっている。装幀も元版を流用したものなのがうれしい。


その後も雑誌で短篇「鼠色のパンフレット」や「人魚」「海に鳴る鐘」などの戯曲も読んで引きこまれ、氏の単行本を出来る限り蒐めようと思いたった。もっとも単行本未収録の作品も数多いようだ。
人気の高い作品集『垂水』(山本書店、昭17)は高価でとても手が出ないが、その短篇「垂水」も収録されている『恢復期』(角川文庫、昭31)は目録で見つけ、やっと手に入れることができた。これもとっくに絶版で、古本屋をめぐってもお目にかかったことがない。

150頁の薄い文庫だが、初期の代表的作品「恢復期」「見守る女」「母たち」が入っていて充実した一冊。とくに「母たち」は、母とのかかわりを通して自己の内的形成史を刻明にたどった自伝的中篇で読みごたえがある。これも間近に結婚する相手の女性に宛てた手紙のスタイルで書かれている。吉田健一が解説を書いており、昔の日本にもあった貴族の伝統文化の”洗練と余裕”が優れた文学を生み出す条件だという主旨のことを「垂水」や「見守る女」の背景として示唆している。
自伝的といえば、中公文庫収録の「灰色の眼の女」「船首像」「跫音」も神西氏が27〜30歳にかけて日本在のソ連通商部に勤務していた体験を下敷きにし、その商館の歴史的推移とそこで働く本国派遣の人物群像が生き生きと描かれ、歴史の変動期に揺れ動く個人の心が迫力をもって伝わってくるスケールの大きな連作だ。

いろいろ読んでみて、神西作品の特徴として推理小説とは全く異なるが、謎や秘密めいたものが告白によってしだいに解き明かされてゆく、といったストーリーが多いのも魅力の要素であると思う。又書簡体のスタイルが多いのも引きこまれる特徴の一つだ。神西氏自身、大へんな手紙魔だったという。

神西氏は1957年、55歳で早世された。チェーホフ全集などの数多くの翻訳に心血を注いでいたせいか、創作の方はさほど多くない。といっても、全集6巻が昭和51〜52年、文治堂書店から幸いにも出されており、単行本で読めないかなりの小説、戯曲が収録されている。これも絶版だが、その気になれば図書館か古本屋で探し出し、その豊穣な世界を味わう楽しみが我々に残されている。そこにはごく初期の名篇「鎌倉の女」なども収録されている。


「詩と小説のあひだ」表紙
「詩と小説のあひだ」表紙

さて、前置きが相変わらず長くなったが、今回主に紹介するのは氏の評論集『詩と小説のあひだ』(白日書院、昭22)収録の文章である。この本は残念ながら戦後すぐの出版だけに装幀、紙質はお粗末な造本だ。しかし、中身は濃く、ロシア、仏文学の名翻訳者の視点からのゴーゴリやツルゲーネフについての評論、友人であった堀辰雄や、鏡花、有島生馬、荷風作品への言及、散文や翻訳についての独自の考察などが並んでいる。

その中の一篇に「書災のことなど」がある。ここで氏は昭和22年に出された荷風の『罹災日録』(扶桑書房)をとりあげ、これを荷風作品の中でも『墨東(ぼくとう)綺譚』※1以来の傑作と評価する。
荷風の災難に反して氏自身は戦争中も鎌倉住いで空襲を逃れ、蔵書も無事に残ったが、何かしら自責の念に駆られて、応仁記や五山文学、一休の狂雲集などまで次々と読みふけり、五山の学僧たちの流離の姿に心を打たれる。とくに哀傷に耐えないのが応仁の乱で燃尽きた夥しい書巻である。
そんな折に荷風の日録を読み、「三月九日の條に至って、『唯火焔の更に一段烈しく空に舞上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上萬巻の図書一時に燃上りしためと知られたり』云々とあるのを見」、その舞いくるう紅蓮の舌をまざまざと想像する。その時亡びた書物には荷風の名品『あめりか物語』ゆかりの数々の仏蘭西本が含まれていたことだろう。さらに氏は荷風が、往年引越しの際などに洋書を手ばなしたことを知るが、躊躇しつつ、次の如く告白する。「恐らくそのやうな折に街頭へただよひ出た氏旧蔵本の片割でもあらう。ナルキュル版ジイドの背徳者第四版の、その扉に荷風書屋と蔵書印の据わったのを、僕は一九二五年の暮以来ひそかに愛蔵してゐる。」と。
そして、その本の巻末には、やや茶褐色を帯びた赤鉛筆で、十九年二月二十七日という読了の日付らしき仏蘭西文字が書き入れてあるという。

荷風の所蔵していた貴重な洋書が神西の手に渡ったというだけでも、古本好きには心踊る話だが、事はそれだけでは終らない。このエッセイの後に付けられた(後日譚)を読んだ読者は意外などんでん返しをくらって二度驚かされることになる。

というのは、氏の一文が『新潮』に載って数ヵ月後、神西氏が大佛次郎氏の書斎で、「赤モロッコ革装四ッ折判ユーゴー全集四十巻のうづ高い堆積のかげに席を占めながら」氏の話を伺った際、「氏は、みすみす君を幻滅させるようで気がとがめるが・・・と前置きして、実はあの荷風氏旧蔵本は自分が学生時代に一時愛蔵してゐたものに相違ない。それが何日どうして手放したかは記憶にないが、とにかくあのアンダアラインや読了日の記入などは悉く自分の手になるものである ── とすこぶる言ひにくそうに語られた」と記されているからだ。神西氏はこれを聞いて、幻滅どころか、旧に倍する欣びを感じた、と書いている。一冊の洋書を通じてつながった三大文学者の奇しき縁といえよう。


大佛次郎といえば、私は近年、どういうきっかけかは忘れたが、氏の現代小説が好きになり、古本で探しては何冊か読んでいる。
例えば、『鴎』※2(杉山書店、昭18)、『真夏の夜の夢』(丹頂書房、昭22)『熱風』(コバルト叢書、昭21)『冬の紳士』などである。
とくに『真夏の夜の夢』は内容、装幀とも私のお気に入りの一冊で、装画、挿絵とも猪熊弦一郎の繊細なタッチのペン画が魅力的だ。大佛氏の現代小説も舞台が国際的でスケールが大きい。主人公も画家や芸術家で、自由なボヘミアンが多く、戦争体験で複雑な陰影をもってはいるがヒューマニズム精神の体現者で、女性にはめっぽうやさしい。いわば鞍馬天狗の現代版ともいえよう。そんなところに引かれたのだと思う。

「真夏の夜の夢」装画
「真夏の夜の夢」装画/猪熊弦一郎

「学鐙」表紙

この大佛氏がまた、大へんな愛書家、蔵書家だということは、例えば以前、目録で手に入れた『学鐙』丸善創業100年記念号(1969年1月号)─ これ自体、数多くの文学者が自己と丸善とのかかわりを各々回想している興味深い特集だが ─ に掲載の氏のエッセイ「丸善の私」を読めばよく分る。(これは後に講談社文芸文庫『旅の誘い』にも収録)
氏は早くも日比谷の中学時代、受験準備に神田の研数学館や英語学校の夜学に通った際に古本屋歩きを覚え、一高に入って寮生活で散歩に出ると中西屋やフランス書専門の三才社、仏蘭西書院に行くようになる。さらに東京帝大政治学科に入ると散歩の区域も広がり、日本橋の丸善へも足を伸ばしたという。ここで、レニエの詩集や小説、ロマン・ローランの原書などを手に入れた。大学を卒業し、三年ほど外務省条約局の嘱託をしていた折、丸善の彦坂君が各局に注文取りに姿を見せ、月末払いなので欲しい本を見ると誘惑に抗しきれず注文してしまう。
氏はこう正直に告白している。「未払いの勘定が山と積って、おとなしい彦坂君と出会うのが心苦しかったから、毎月二十五日の月給日から晦日までは、役所に行かなかった。」と。さらに「売れる原稿を乱暴に書くようになったのは、買った本の支払いの為であった。丸善の本が私を濫作する大衆作家にして了い、苦しまぎれに『鞍馬天狗』を書かせ、入った金で、また本を買込むように使役した。」とまで書いている。まさか、これだけが『鞍馬天狗』誕生の動機でもなかろうが、意外に切実で愉快(?)なエピソードではある。
同文では、晩年『パリ燃ゆ』執筆のため、パリのサンミシェルの裏町の歴史書専門の古書店に通い、コンミューン関係の本を探したことも出てくる。

『旅の誘い』には「古本さがし」という一文もあり、氏が東北へ旅行中、仙台の古本屋で藤原氏の資料を探したときの感慨が語られている。しかし最近は、地方を歩いていて、珍しい本を掘り出す楽しみがなくなったと嘆いている。「地方の小さな町に行って専門の古本屋があったら、これは人の生活が落ち着いていると見てよい。」という氏の述懐には全く同感する。


(追記)
脱稿後、しばらくたってふと憶い出した。大佛次郎の現代小説が好きになったのはたしか最初、京都の古本屋で『裸体』(竹書房、昭23、京都刊)という中篇小説集を見つけ、収録の「姉」(戦後すぐの出版社を舞台にしたもの)や「裸体」(画家とそのモデルになった女性との粋な恋物語)を読んでとても面白かったのがきっかけになったように思う。

もうひとつ。本稿を創元社に送った直後、京橋のツインビルで開かれた古本展に出かけ、大佛次郎『ちいさい隅』(六興出版、昭60)を見つけた。晩年の15年にわたって神奈川新聞に連載された随筆69篇が収録されている。函の花の装画が美しい。本の話や交流のあった文学者や画家の話も含まれていて、楽しい内容だ。
その中の一篇に「荷風の人嫌い」があり、これを読むと、大佛氏は生涯に一度だけ、荷風に会ったことが回想されている。氏が大学生の頃、アンリ・ド・レニエの小説を翻訳したので、荷風さんに見てもらえないかと手紙を出したら、小包で送れとの返事が来て、やがて何日何時頃来なさいと葉書をくれたので、有名な偏奇館に喜んで出かけた、という。荷風は無名の大学生の翻訳を読んでくれたばかりか、最初の一枚に毛筆で手を入れ「こう言う調子にする方がレニエらしい。しかし、これ以上手を入れては、あなたの個性がなくなるからやめた」と言われた、と書いている。その時の親切な優しい人との荷風の印象から、世間でうわさされる人ぎらいな性質とは信じられない、と結んでいる。
荷風 ─ 大佛 ─ 神西のつながりを証言する一文として、ここに紹介しておきたい。


※1 『墨東綺譚』の「墨」にはさんずいが付く。
※2 『鴎』のへんの「メ」は「品」となる。

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