「大阪に出版社があるのですか?」 <創業から出版事業草創記>
日本には現在、4 千数百の出版社があります。
その8 割が東京に集中しています。
関西に拠点を置く出版社はほんの1割を数えるだけです。
それは昔も変わりません。
書籍小売から出発した創元社が、創業から30数年のち
に図書出版を果したのは、
「大阪に出版社があるのですか?」
という文芸評論家の言葉でした。
小社の創業者・矢部外次郎(1865-1948)は、
金沢出身の人です。
大阪に出て、土佐堀にあった福音社に入りました。
福音社は印刷、製本、書籍出版・販売を業としていました。
主人の今村謙吉は熱心な清教徒で、
外次郎もその影響を受けました。
その後外次郎は、書籍小売店を開業します。
ほどなく、福音社の今村謙吉が病で倒れ、外次郎は福音社の名義を受け継ぐことになり、書籍販売に加え、取次とキリスト教関係出版も行うことになりました。
のちに、一般書籍にも分野を拡げ、東京の有力出版社多数の代理店となり、当時の大阪四大取次の一つに発展しました。
創元社を、現在の図書出版会社に足がかりをつけたのは、外次郎の次男、矢部良策(1893-1973)です。
良策は大阪市立甲種商業学校(天商)を卒業後、1913年(大正2年)福音社へ入ります。
良策は、取次業務のかたわら、出版への意欲を抱き始めます。そんなある日、京都大学教授で新進気鋭の文芸評論家と会う機会を持ちました。良策はおもいきって、心の内を話してみました。
「私、大阪で本の卸をしていますが、出版もやりたいんです」
すると、
「大阪に出版社があるんですか?」
と、皮肉な笑みを浮かべて問い返されました。良策はこの時、この評論家も認める出版社をつくると心に誓ったのです。
東京以外の地域で出版活動を行う意義が社会に認識されたのは、想像を絶する出来事からでした。
1923年(大正12年)に起きた関東大震災が東京の出版界を壊滅させたのです。
東京からの本の入荷は途絶え、地方の書店は大阪で買い付けを行い、在庫は瞬く間に底をつくという状況に至ったのです。福音社でも、売る本がなくなりました。
この事態に良策は、関西でも文化の香り高い出版をと、心に期したのです。
その第一作が『文芸辞典』(1925年 大正14年)です。
当時、急速に輸入された西洋思想の用語解説であるこの『文芸辞典』は好評を博し、たちまち版を重ねました。
創元社の出版事業は、ここに元をおき、創られたのです。
文化の香り高い出版を <昭和初期から昭和20年まで>
”文化の香り高い出版”のこころざしは、次の主な刊行からも伝わるのではないでしょうか。
設立当初から営業拠点として設けていた東京支店では、文芸評論家の小林秀雄を編集顧問に迎え、大阪とともに編集活動を行っていました。
創元社の出版活動は、しだいに文壇でも注目を浴び、 ”作家の意を十二分に汲んでくれる出版社”という評価を得るようになりました。
薄田泣菫 『猫の微笑』、『草木虫魚』、『樹下石上』
小出楢重 『めでたき風景』
谷崎潤一郎 『春琴抄』(漆塗りの装丁、本文は変体かなの独創装丁本)、
『芦刈』、『吉野葛』、『陰翳礼賛』、『猫と庄造と二人のをんな』
横光利一 『時計』、『機械』、『春園』、
川端康成 『雪国』、滝井孝作『無限抱擁』、
北条民雄 『いのちの初夜』
中原中也 『在りし日の歌』、
三好達治 『艸千里』、
織田作之助 『夫婦善哉』
これらの文芸書を創元社は、美しい装丁で出版、刊行しました。
特に谷崎潤一郎の『春琴抄』は圧倒的な人気を博し、初版はすぐに売り切れ、再版にとりかかるほどでした。
そして、さらに文化の香り高い出版に努めたのです。
『茶道全集』15巻、三千家の協力による画期的な全集刊行(1937年 昭和12年)
『創元選書』、柳田国男『昔話と文学』を第1作として刊行(1938年 昭和13年)
ベストセラーの三木清『人生論ノート』、川田順『西行』、モース『日本その日その日』など270点超
『創元科学叢書』刊行、木原均『小麦の祖先』の名著をうむ
『日本文化名著選』刊行
『哲学選書』刊行
これらの出版は、一般読者ばかりでなく、作家たちの知の源泉にもなったようで、故堀田善衞は柳田国男についての随筆文の中で
「その名と仕事を知りそめたのは、創元選書で氏の著書がかためて出はじめたころのことで」
と書いています。
超ロングセラー『人を動かす』との出会い
「いま、米国で大変人気のある本ですよ、翻訳してみたらどうですか」
文芸出版社として東京でもその名が定着するようになった昭和10年代、良策は、一人の知人から、一冊の本を渡されます。
それが、延べ410万部のロングセラー書、
カーネギー『人を動かす』(原名は「いかに友を得て、人びとを動かすか」)でした。
人間関係の技術を具体的な実例をあげて説く、キリスト教の愛の精神にあふれたこの本に、敬虔なクリスチャンであった良策は、すぐに出版を決意します。
以降、『道は開ける』、『人生論』、『名言集』、『話し方入門』、『リーダーになるために』等とカーネギーシリーズへと発展しました。
新しいテーマを探求して <20世紀から21世紀へ>
終戦8月の翌月、1945年(昭和20年)9月、創元社は山本有三『不惜身命』を第1作目として『百花文庫』をスタートさせました。
終戦直後、人々は活字に飢えていました。知は生きる糧でもあったのです。
その後、小林秀雄『無常といふ事』、大岡昇平『俘虜記』、阿部知ニ『城』、伊東静雄『反響』の出版、創元選書では浜田青陵『考古学入門』などを出し、本はよく売れました。
しかし1948年(昭和23年)、猛烈なインフレが出版界を襲い、倒産が続出しました。
創元社でも、すでに独立採算制となっていた東京拠点を 1954年(昭和29年)「東京創元社」と別会社とし、厳しい経営環境を経験しました。
現在ではともに独自分野の出版を続け、姉妹会社の友好は続いています。
戦後のインフレ、その後続く高度経済成長、そしてオイルショック。
20世紀の後半、日本の戦後は、経済の変遷とともに、人々の価値観を大きく変容させた55年でした。
人々の意識は変わり、求めるものも変化してきました。
1973年(昭和48年)良策が亡くなり、長男の文治が社長に就いた時、創元社の出版姿勢を次のように定めました。
歴史と伝統を尊重しながらも、常に新鮮でクリエイテイブな精神を忘れず、新しいテーマを探求して行く。
人文書を中心とする教養書を柱に、ベストセラーよりもロングセラーを心がけて、堅実経営に徹する。
そして、21世紀。
創元社は新しいテーマを、世界史、心理、自己啓発におき、その周辺の出版を心がけ、同時に、関西を地盤として出発したことも忘れず、大阪、関西にかかわる出版をすすめています。
生活の便利さ、モノの豊かさを経験した人々が、心にはひもじさを感じている。そう思える現在、小社の出版の役割は、いっそう重要になっていくのかもしれません。
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