文・栗本智代、写真・小谷 光

【著者プロフィール】
栗本智代(くりもと・ともよ)
1965年吹田市生まれ。大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所主席研究員。奈良女子大学卒業後、大阪ガスに入社。1991年より現職。大阪の活性化の一環で、都市の個性や魅力を、歴史や文化的側面から探求。「なにわの語り部」公演活動も展開する。著書『大阪まちブランド探訪』(創元社)、『大阪水の都に浮かぶ劇場』(KBI出版)など。
創元社
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近代建築のシルエットとディテール[後編]

中之島・北船場を歩く

小川香料と船場ビル―雰囲気の違いを味わう
re小川香料.jpg 三休橋筋から東西の通りに入ると、他にもいくつか中小規模の近代建築物が点在する。
 平野町通りに面して建つ「小川香料」は、芝川ビルと同じ、本間乙彦の設計だが、まったく雰囲気が異なる。1930年(昭和5)竣工。酒井さんによると、設計者は、この建物の竣工当時にもすでに古い建築に興味があり、新しいビルながら、懐古的な面があるという。「昭和初期はスクラップ・アンド・ビルドが盛んな時期で、彼は当時失われ行く大阪の古い町家や明治初期の近代建築に思いを寄せていました。このビルにも使われているような茶色のタイルやテラコッタには、どこか最先端を行くよりも、昔を懐かしむ味があります。八角形のステンドグラスや照明もそうです。庇の角をすべてアール(曲線)にしている。表現主義的な感じがします」。
 淡路町通りに面した「船場ビルディング」。近代建築と気づかず通り過ぎてしまうくらいのさりげない外観だが、エントランスをくぐると、吹き抜けの中庭を囲むように廊下がめぐり、外側に各部屋が配置されている。「この中庭は僕のイメージでは路地です。シンプルで居心地がよいけど、意外とないデザインです。手すりの親柱もシンプルでかわいいですね」。綿業会館の密度濃い完璧さに対して、「隙間のある建物のよさが感じられます」と酒井さんは、このビルもかなり気に入っているようだった。
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大阪倶楽部―無国籍なオーラを放つ安井ワールド
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 1924年(大正13)に安井武雄の設計で建築されたが、実は大阪倶楽部の会館としては2代目になる。初代は野口孫市の設計だったが火災で焼失してしまった。
 少し離れてシルエットを見る。「真四角ではなくいびつな形で、ぱっと見た瞬間はちょっと不思議な生き物のようです」とまた独特のコメントをする酒井さん。建築物を深く愛する人ならではの表現が興味深い。
 大阪倶楽部は、ほとんどを覆っているタイルの深い赤茶色が印象的で、土器のようにも見える。「ライトが東京の帝国ホテルでスクラッチタイルを使い、多くの建築家はその真似をしましたが、ここではちょっと雰囲気の違う素朴な肌合いのタイルです。1階に龍山石を使っています」。また、龍山石だ。この建物でも、アジア的なあるいは中南米のような雰囲気を醸し出す石材という印象である。「それまであまり建築には使われていなかったのですが、ライトがこれに似た大谷石(おおやいし)を使ってから急に需要が増えました。屋根はスパニッシュ瓦を使用しています」。
re大阪倶楽部1.jpg 近寄って、側面の窓を指す酒井さん。「この窓のテラコッタは、ぜひとも見逃さないで欲しい逸品です。テラコッタで華麗な飾り付けがされており、窓だけ見ていても飽きません。他の窓は、並びがきちんきちんとしていて、安井武雄らしいです。昔は煉瓦やタイルの割付を基準に窓を設計していたんですね」。どの一画を撮影しても絵になる。「大阪の近代建築には、そういうことが多いんですよ」。
 正面の1階部分のアーチ間の柱上に不思議な怪獣がいたり、扉を開けて入ると、舌を出して人とも化け物ともつかぬ顔があって、それが噴水になっていたりと、不可思議な独創的な世界が感じられる。そこだけ、周辺の空気を変えてしまうオーラがあるほど、建物が"濃い"と思える。非常に存在感がある。
 大阪倶楽部は、現在も倶楽部制をとっているため、通常はなかなか内部を見学できず、それが不思議な建物というイメージをつくるのかもしれないが、一般に向けたコンサートやイベントなどが開催されることもあるので、またじっくり内部も見てみたい。

都市を見渡す切り口としての建築物
 酒井さんは、タイルの愛好家としても有名だが、まちを歩きながら説明を聞いていても、本当に楽しみながら建築物の研究を深めているのだと伝わるものがあった。その中で、大阪の建築物についてこう話している。
「歴史的な都市には、それぞれ個性豊かな建築があり、それがまちの性格を生み出している面があります。大阪が"水都"と言われるとき、まちの中心部を貫く河川や堀川、そこに架かる橋、水辺に正面を向けた近代建築や町家の織りなす風景が、その根源にある気がします。けして物流としての河川だけではなく、心象風景としての"水都"を水や橋や建物がつくっているのでしょう。
 建築家ばかりでなく、ステンドグラスの職人、左官職、タイル職など、さまざまな人びとの手の痕跡が、古い建物からは感じられます。もちろん、それを愛し、今日まで伝えてきた人たちの努力は大変なものです。
 おそらく、私の愛するタイルや窓などは建築の一部分に過ぎませんが、建物の歴史に関わった人びとの思いを伝えてくれる大切な一要素であることも事実です。だから、みるだけでなく触れてみたり、素材のかもしだす空気を感じたりすることが大切です。また、細部はそれ自体を眺めること・考えることも大切ですが、そこから建物や都市全体を見渡すひとつの切り口であると考えています。
 細部をみることから、建物の全体、そして都市の個性や歴史にまで思いを馳せることができる点が、歴史的な建物と細部の持つ魅力だと思います。建築は味気なく無骨なハコモノというイメージがあるかもしれませんが、実はきわめて繊細で、まちの歴史をはじめ、多くのことを物語ってくれる存在なのです」。
 特に、中之島・北船場界隈は、近代建築物群が雄弁に時代や歴史を物語っているエリアである。だからこそ、維持管理していくオーナーの努力や思い、借り手、住まい手の工夫などの逸話も数多くあるだろう。建築の姿、素材、装飾、現代的な使われ方など、何かひとつでも心ひかれる部分があれば、大阪への興味が深まり、まち歩きを楽しむ可能性が広がる。近代建築物でのランチやスイーツから始めてもいい。まずは機会をつくって、ぜひ足を運んでほしい。

〔カリスマのプロフィール〕
酒井一光(さかい・かずみつ)
1968年東京都生まれ。東京理科大学工学部建築学科卒業、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程中途退学。
大阪歴史博物館学芸員。主に大阪の歴史的建造物に関する調査・研究を行う。特別展『煉瓦のまち タイルのまち』などを担当。
著書『窓から読みとく近代建築』(学芸出版社)、共著『大阪の近代建築と企業文化』(ブレーンセンター)、『大阪のひきだし――都市再生フィールドノート』(鹿島出版社)、『大大阪モダン建築』(青幻舎)など。