文・栗本智代、写真・小谷 光
【著者プロフィール】
栗本智代(くりもと・ともよ)
1965年吹田市生まれ。大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所主席研究員。奈良女子大学卒業後、大阪ガスに入社。1991年より現職。大阪の活性化の一環で、都市の個性や魅力を、歴史や文化的側面から探求。「なにわの語り部」公演活動も展開する。著書『大阪まちブランド探訪』(創元社)、『大阪水の都に浮かぶ劇場』(KBI出版)など。
鎮魂のまち、法善寺界隈と寺町を歩く
オダサクの大阪発見
"夫婦善哉"といえば、法善寺の汁粉屋を連想するだろう。1人前で2杯もってくる善哉が有名である。それを表題とした小説「夫婦善哉」の作者が織田作之助である。ニックネームはオダサク。昭和前後の古きよき大阪をこよなく愛したフラヌール(遊歩人)である。
大正2年(1913)に生まれ、33歳の若さで結核によりこの世を去るまで、大阪を舞台にした作品を数多く生み出した。
主人公の放浪や感情の起伏を通して、大阪の庶民の生活やまちの表情を細やかに、具体的に店や通りの名前も織り交ぜて描いているのが特徴で、当時の地誌としても、評価が高い。
そんな織田作之助の視点から大阪をなぞってみる。
案内人は、大阪でもっともこの文士を敬愛するといっても過言ではない、井村身恒(みつね)さん。オダサクの魅力と軌跡を追いかけ、「オダサク倶楽部」を立ち上げ、活動を展開している。
最も大阪的なところ、法善寺「特に織田が好んで通い、作品の舞台にしたのは、何をおいても、ミナミの法善寺界隈です」と井村さんは言い切る。「夫婦善哉」はもちろん、「アド・バルーン」「雨」「放浪」「青春の逆説」等の作品に、法善寺界隈が描かれている。
法善寺周辺は、水掛地蔵を中心に、ミナミの中でもそこだけが、周りの喧騒を忘れさせるような澄んだ空気感が印象的である。
最も大阪的なところを案内してくれといわれると、僕は法善寺へ連れて行く。寺ときいて二の足を踏む人には、浅草寺も寺じゃないか、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである。
(「大阪発見」より)
「織田が東京にいた時期に、大阪を懐かしく思い出すと、まず法善寺が脳裏に浮かんだとあります。大阪を離れてはじめて、"大阪発見"をしたんやね」と井村さん。
「織田は、当時の旧制高津中学、現在の上本町近くにある高津高校に通っていた頃から、学校が終わると日本橋の南側に出て、千日前、法善寺あたりをぶらぶらしていたようです」。千日前郵便局やトリイホールのある上方ビルに面する東西の通りが、法善寺の参道のようにも感じられる。
アーケードの商店街をくぐると、石畳が続く。入り口南側には「天龍山法善寺」と掘られた大きな石塔。歩を進めると、ふーっと線香の香り。正面は、水掛不動尊である。「ここは、正確には法善寺の境内。周辺は、芝居裏と呼ばれてたんです」。

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