東横堀川界隈
大阪最古の城下町で、新旧の本物に出会う
本町橋から高麗橋まで―川辺のガイドツアー 本町橋西詰から北上した「安土町1丁目」「備後町1丁目」の表示前。杉本さんに促されて背中合わせになっているビルとビルの隙間をのぞく。何もない細い空間がずっと向こうまで続いているが、意味がありそうだ。
「太閤秀吉の時代に下水整備がされました。道路と道路に挟まれたブロックでは、北側にある建物は玄関が北向き、南半分にある建物は南向きで、建物が背中合わせになっており、その境の部分に下水溝が掘られたんです」。これを背割下水、あるいは太閤下水といい、今でも東横堀川界隈のあちこちに残っているそうだ。
さらに北上。大手橋の南側に、クリーム色の雄大な建物が目立つ。「岸本瓦町邸」、国登録有形文化財である。1831年(天保2)創業の鉄商、岸本商店5代目岸本吉左衛門の本邸として、1931年(昭和6)に建設された。鉄筋コンクリート造り、屋根はフラット、壁面もシンプル、照明や窓など細部とあわせて、モダンな匠の気品を放つ。「設計が住友工作部の笹川慎一で、北浜の旧住友ビルディングと同じ石を使用しているので、雰囲気が似ています。企業のいわゆる迎賓館として今も使われているのですが、貴重なお宝や芸術品が多々収蔵されているらしく、いつもシャッターが下りているんです」と、残念そうに杉本さんは言う。年に1回でも是非公開してほしいと願う。
「前方にある大手橋は、西詰が行き止まりになっており、"思案橋"という別名があります。全国各地に思案橋があり、遊里の入り口にあって、遊びに行くかどうか思案したというケースが多いのですが、大阪は違うみたいですね」。他の説も聞いたことがある。秀吉が五奉行の一人に橋の名前をつけるよう命じたが、思案しても決まらなかったという説、曾呂利新左衛門が同様の依頼を受け思案したためという説。西側の通りが直進していないのは、城に直接通じる道を造らなかったという軍事上の配慮があったという推測もあり、いかにも城下町らしい。
東横堀川沿いの公園へ、階段で下りる。昔から、潮の満ち引きに関係なく水際まで下りられるように、階段状になっている。「"がんぎ"と呼ばれています」「え?」「"がんぎ(雁木)"です」。聞きなれない言葉だが、大阪の水辺の特徴である。
公園内に水門事務所があり、時期やイベント限定で、水門の開閉を建物から見学できる。
テラスが心地よい「ダイニング・アップリケ」 平野橋東詰からやや南側。東横堀川にテラスが張り出している。「レストランの特等席があのテラスなんですよ」と、杉本さんが必ず紹介する店である。
針原雅幸さん、由美子さん夫妻のご家族で経営している「ダイニング・アップリケ」。地下は雅幸さんの事務所、1階は店舗・テラスで、由美子さんがオーナーである。長女がシェフをしていたが、2009年12月で結婚のため退職する。長男は父親を手伝いながら、厨房にも立つ。2階に家族で住む。
2年以上、探しに探した挙句出会ったのが、この物件であった。由美子さんは「昔から証券取引や金融などで活気があった北浜界隈で店を持つことが夢だったの。それに家族の住まいと店を兼ねたかったから」。もとは60坪の酒屋が3等分して売りに出されていた。「注文住宅ですが、テラスを思いついて作ったのは、私じゃなくて主人なんですよ」。
工事の下見に来たのが、偶然、天神祭の宵宮の日。どんどこ船が東横堀川を通った時、雅幸さんがひらめいたそうだ。工事の担当者に頼み込んで、テラスの出入り口を作るため窓を足元まで切ってもらい、強度補強で鉄骨をより多く入れてもらうなど設計しなおしてもらった。雅幸さんは「内装はほとんど私の手づくりでね。床や壁貼り、電気工事、トイレ設置や、テラスのクーラーも」と照れくさそうに、あちこち見せてくれた。
2002年9月にオープン。今はかなりの賑わいでリピーターが多い。
テイクアウト用サンドイッチ「北浜SAND」は、本当においしい。国産肉のハンバーグに淡路島直送タマネギ、無添加で手作りのイギリス風食パンを使用。一口では頬張れないほどの具のボリュームで、ハンバーグのジューシーで懐かしい味と歯ごたえのあるパンがよく合う。お客様のリクエストから生まれ、会議や勉強会などの機会で、注文が多い。「20年以上つくり続けてきたハンバーグがこんな形でブレイクするなんて・・・・・・」と喜ぶ由美子さん。実は「大阪のおかあさん」の異名をもち、「出会いに感謝し、毎日を大切にしていきたいね」とあたたかく優しく話を聞いてくれる。それが心に残る味付けになっている。

